死神と逃げる月

□全編
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《魚屋の手紙・2》




仕事の帰り、魚屋の娘から渡された紙袋を持って




郵便配達夫の彼は駅前の公園を訪れた。




手紙の中身が気になって、家に帰る前に少しだけ見てみたくなったのだ。




数ある束の中から、消印の日付が若いものを選び出し




少し躊躇しつつも封筒を開く。




『その世界には月がない』




隅に花の絵があしらわれた便箋は、そんな書き出しから始まっている。




『城の西側にある塔には囚われのお姫様が…』




「手紙っていうより物語みたいだ」




便箋は封筒に、必ず1枚ずつ入っている。




既に陽も傾いて薄暗かったが、読むのに時間はかからなかった。




『その冬初めて雪が降った日、お姫様のもとに竜の騎士が見たことのない宝石を…』




ある大きな城下町を舞台に




様々な人物が登場する物語。




デタラメな料理ばかり作る見習いコック。




貴婦人の幽霊。




気位は高いけれど泣き虫の小公子。




毛むくじゃらの優しい怪物や




世界中を放浪しながら風景を切り取っているという画家。




伯爵猫に、渡り鳥を待つ老木も登場する。




『その宝石こそ、空に足りない月の小さな欠片だったのです』




そこで、ひとつ目の束が終わる。




「これを読んで感想を、か」




魚屋の娘はこの物語を少しずつ書き進めては、自分宛てに郵送していたというのか。




一体、何のために。




しばらく考え込んでから郵便配達夫が顔を上げると




向かいのベンチに、あの黒服の男がいた。




どうやら彼も手紙らしき物を読みながら、頭を悩ませているようだ。




けれど、そっとしておこう。
彼とはあまり関わりたくはない。




物語の続きも家に帰ってから読むことにして、郵便配達夫は公園を後にした。
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