死神と逃げる月

□全編
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《タイミング》




漫画家の彼女は窓を開けた。




「おはよう、真っ暗闇」




近頃は朝を待ってから就寝することが多いので、目を覚ますと辺りはもう暗くなっている。




今夜は車も少なくて、静かでよろしい。
いとをかし。




こんな夜は潮騒にも手が届く。
もののあはれ。




歩道には、街灯に照らされて影がふたつ。




制服と鞄。高校生カップルさまですか。
こんな時間まで部活だったのかね、ご苦労さま。




私んちの前で「バイバイ、また明日」って。
「明日、学校でね」って。




ああ、ちっとも羨ましくないや。
明日の朝、会うなりすぐに喧嘩してしまえ。




「諸君。私の青春は漫画だったぜ」




いかん煙草を切らしていた、なんて考えながら口からは違う言葉が漏れた。




そうさ漫画の中で恋をして、漫画の言葉に励まされて生きて。




漫画家になりたいって親元を飛び出して、さて何年経ったでしょうか。




アシスタントをやりながら描いて描いて、やっとこさ小さな賞をひとつ取った矢先だったな。




スランプというのか、「結局のところ私は何が描きたいんだろう病」を発症しまして。




そりゃあ、そういう時期もあるだろうけどさ、最悪のタイミングだったわけ。




これから大事な試験期間だってのに高熱出した、みたいな間の悪さ。




それから期待を裏切る日々の始まり、紆余曲折もなくそのまま下降線を辿って今日に至ると。




とにかく何事もタイミングが全てだ。
思い知ったや。




おや、女の子の方はもう手を振って曲がり角の向こうに消えたのに、男の子ってのは暢気だね。




そうやってのんびり月なんか見上げていると、大事なタイミングを逃しちゃうかもしれないぜ。




もし言いたいことがあったら、言えるうちに伝えときなさいな。
余計なお世話だけども。




好きな人も、いつか目の前からいなくなっちゃうかもしれないよ。




何が起こるかなんて分からない。
そう、全てはタイミングひとつなんだよ。




「ああ、さぶ……今度そういう漫画でも描こうかねえ」
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