死神と逃げる月

□全編
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《エール》




写真好きの彼から報告を受けたのは、よく晴れた火曜日。




魚屋の娘は店番をしながら手紙を書き終えて、今まさに小走りでポストへ向かおうとしたところだった。




「そうなの。おめでとう」




「まあ第一歩だね」




写真家の先輩に同行して、世界を回ることになったのだという。




写真好きの彼は決して浮かれている様子もなく、だけど胸を張っていた。




「すぐ出発なの?」




「今週中には。まずは国内を少し回るらしい。そしたら一度戻ってくるけど、その次は海の向こうへ」




旅か。
いいなあ。




魚屋の娘は店番に明け暮れて、刺激を求めている。




そのことに最近は、自分でも気が付いているのだ。




「寂しくなるね」




「ろくに会っていた訳でもないのに」




「でも友達少ないから。君と違って」




彼に友達がどれくらいいるのか知らないが、人当たりは良い方だろうから。




そんなことも考えつつ、ひと言「頑張ってね」とだけ伝える。




「ありがとう」




「私も、頑張る」




全く予定にない言葉だったが、反射的にそう言っていた。




無意識ながら自分の中で決意は固まっているんだ、と魚屋の娘は気付く。




「何を」




「…いつまでも手紙を待ってばかりじゃダメだと思うの」




引っ込み思案な胸の中。




それでも少しずつ、大人になってゆく。




片思いはもう終わりにするんだ。




「おう、頑張れ」




エールを交換して、写真好きの彼は去っていく。




彼女にとって彼は、共に闘う同志のように心強かった。
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