死神と逃げる月

□全編
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《咲かぬなら》




細長い煙管から緑色の煙を垂らして、彼女は




「始まり」と「退屈」を手に入れた彼女は、手紙を読んでいた。




例の黒服からの手紙であるが、いつもながら不躾にも程がある。




冒頭からして「少し日が空いたが」とか「毎度のことながら柄にもなく手紙を」とか書いているのだが




それはそちらの都合であり、そちらの時間の話だ。




私はついさっきシャワーを浴びて、湯冷めもしないうちに君の手紙を読んだばかりさ。




今度は将棋盤にようやく駒を並べ終わったところに、これを受け取ったのだよ。




とは言え、いつにも増して君は面白い手紙を書いた。




「返す人」か。
確かにそれは足りていなかった。行き届いていなかった。




返事を書く気はないが、すぐに手配しよう。




私がすぐに手配したところで、君の街まで辿り着くのは少し後になるだろうけれど。




代わりに、いつか私の願いを叶えてもらえないだろうか。




君の街と同じように、この部屋にも足りないものが沢山ある。




「始まり」も「退屈」もそのひとつだ。




けれど今は、桜が見たい。
今年はもう散ってしまったなら、また来年でも構わない。




この部屋に桜が咲かぬなら、君が見た桜の匂いと色をいつか手紙で伝えてほしい。




それから彼女は諦めの混じった溜め息を吐いた。
その勢いに乗って緑色の煙が逃げていくと、彼女はおもむろに立ち上がる。




さて次は何を探そうか、と。
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