死神と逃げる月

□全編
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《死神と嘘吐き・5》




彼女は傘も差していなかった。




海沿いの道にタクシーを停め、雨に打たれながら砂浜を駆け下りてくる。




黒服の男は逃げも隠れもせず、真正面から彼女を迎えた。




「ごきげんよう、嬢ちゃん」




嫌われ役らしく、敢えて明るく挨拶をする。




彼女は何も答えなかった。




「言いたいことがあるんだろう。俺を罵倒するのもいい。泣いて懇願するのもいいさ。だが俺にはもう何も」




「ありがとうございました!」




突然、彼女は深々と頭を下げた。




黒服は驚きで、一瞬何を言えばいいのか分からなかった。




「…言う言葉を間違えていないかい。実に馬鹿げている。どうして俺に感謝なんて」




しかし再び顔を上げた彼女の表情には、憤怒も悲嘆も読み取れない。




それどころか、何処か穏やかですらあった。




「私にとって初めての彼でした。付き合うということも、どうしたらいいのかよく分からなくて。二人きりだとうまく話せないし、くだらない嘘ばかり吐いて誤魔化していました」




そうかもしれない。
天真爛漫に見えて、この嬢ちゃんはいつだって不器用だった。




「あなたが教えてくれなかったら、私は彼との毎日をそのまま何となく過ごしてしまったと思います。すぐ傍にある幸せにも気付くことなくお別れの時を迎えていたと思います」




「それが普通だよ。お別れなんて突然訪れるものさ」




「あれから私は、彼にお弁当を作りました。映画も見に行きました。頑張って同じ大学に合格できたし、もう一度「好きです」と伝えることもできました」




それを全部、俺のおかげだと言うのかい。




そうじゃない。
嬢ちゃんが頑張っただけさ。




「私は私なりに彼を精一杯大切にすることができました。たった一年の間に彼とこんなに沢山の思い出を作れたのは、あなたのおかげです。ありがとうございました」




もう一度頭を下げてから、彼女は黒服の男に背を向けて歩き出した。




言い残したことは本当にないのか。
俺に伝えたいのは感謝の言葉だけなのか。




「けれど。けれどそれは辛かっただろう。彼の前で、彼を見ながら、何も知らないふりをし続けるのは辛かっただろう」




彼女は立ち止まり、ゆっくり振り向く。




その顔は雨でぐしゃぐしゃだ。




「私、嘘を吐くのは得意ですから」




彼女はいたずらっ子のように笑った。




ああ。




どうして君はいつも、そんな下手な嘘を吐くのだろう。
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