死神と逃げる月
□全編
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《Shangri-La》
始まりを探す彼女には、嫌いな物がひとつある。
それが月だ。
理由は忘れた。
何か彼女にとって大切な物を、月に壊されたような気がする。
それが何だったのか、どうしても思い出せないが
胸の奥がたまらなく苦しくなる。
だから彼女は月が嫌いだった。
反対に、好きな物もある。
緑色の重たい煙が出る煙草の葉や、愛用のソファ。
既に手放してしまったが、青と白が混ざり合ったビー玉のような惑星も。
この部屋にある物の多くは、彼女のお気に入りの品だ。
だが最近の彼女は少しだけ、違和感を覚えていた。
これらは本当に自分のお気に入りなのだろうか。
彼女は自分の意識の中に
明らかに自分とは違う別の誰かの意思を感じるのだ。
本当は、これらは別の誰かにとってのお気に入りであり
それを自分の物と錯覚しているだけなんじゃないだろうか。
そう思うと、何だか急にこのソファも居心地が悪くなってくる。
「ものは考え様か。私の感性も単純だな」
どうせなら嫌いより好きの方がいい。
例え錯覚だとしても、好きな物ばかりに囲まれて過ごせるなんて
幸せなことじゃないか。
まるで囚人のように窮屈に閉じ込められたこの部屋こそが
彼女にとっての楽園であるはずなのだ。