死神と逃げる月
□全編
160ページ/331ページ
《これから》
今日もまた手紙を出そうと、小さな封筒を手に商店街を歩いていた時
魚屋の娘は、珍しい光景を目にした。
郵便ポストのある場所の、ちょうど向かい辺り
シャッターが閉まったままになっている店の勝手口の方から、彼女もよく知る青年が姿を見せたのだ。
「何してるの」
「あ。やあ、こんにちは」
そこは八百屋で、一人息子である彼とは高校の同級生なのだが
家にいるところを見たのは初めてだ。
「これを取ってこいって、親父に言われてさ」と彼は写真立てを見せる。
彼の母親らしき人が写っていた。
「おじさん、大丈夫だったの?入院したって聞いたけど…」
「ああ。今すぐ命の危険ということはないらしい。でも精密な検査も兼ねて、もうしばらくはね」
「今度私もお見舞い行くね」
「ありがとう。きっと喜ぶよ。話し相手がいなくて退屈してるみたいだから」
彼女、八百屋の主人と特別親しかったという訳でもないけれど。
手紙を出しに来るたびに、笑顔で挨拶してくれたから何となく。
「これから、どうするの」
そして彼女は何とも漠然とした疑問を投げかけてみた。
「まだ分からない」
彼は首を振る。
いくら喧嘩ばかりの親子でも、突然の入院はさすがに応えているのだろう。
「私も、迷ってる」
「え?」
彼は「迷ってるって一体何をだい」という顔で見ているが
魚屋の娘は手紙をポストに入れると、「じゃあね」と手を振った。
このゴールの見えない文通を、これからどうしようか。
彼女は迷っていた。