死神と逃げる月
□全編
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《雨傘》
黒服の男に手紙を出してからというもの、始まりを探す彼女は
最初のうちは黒服からの返答を想像したり、予見したりして遊んでいたのだが
次第に落ち着きをなくしていった。
いくら考えたところで、黒服の思考など彼女には分からないし
彼からの返信が届かないことには何も始まらない。
そもそも、まだ彼女の手紙も彼の手に渡っていないかもしれないのだ。
「時間軸が異なっているというのは、本当に面倒だ」
言いながら彼女は、部屋の中に不思議な物を見つけた。
雨傘だ。
ずっとこの部屋で暮らしている彼女には、全く必要がないはずのそれ。
「いや、先日この部屋で雨漏りはあったか…」
しかしやはりそういう用途で置かれている訳ではなく、この部屋に来る前の持ち物なのだろう。
まだ少し濡れている。
最近まで使われていたのか。
「それとも、これも時間軸のズレか」
黒服が向こうの街に着いてから既に1年が経つというのに
この部屋では、1日ほどしか経過していない。
それならばこの部屋の方が時間の経過が遅いのかと言えば、そう断言もできないところである。
この部屋よりさらに遅い世界があったとして、その世界が向こうの街より速いということも有り得なくはない。
いつの間にか追い抜いて、そのうちに追い越されて
走れば遠退き、歩けば近付く。
どちらが逃げているのか、追いかけているのか次第に分からなくなってしまう。
「地球と月のようだな」
考えるのは止そう。
今はただソファに腰掛けて、潔く黒服からの手紙を待つのだ。