死神と逃げる月

□全編
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《今更》




今日は朝早くから湿った雪が降っていた。




段々と積もり始めて、今は建物が白い帽子を被ったようになっている。




しかしもう気温はさほど下がらないらしい。
明日には雨に変わるだろう。




タクシーの運転手は愛車にスタッドレスタイヤを履かせて、視界の悪い中を走っていた。




「こりゃ電車が止まるのも時間の問題だな」




こういう日こそ私たちが頑張らねば。




早速駅から溢れた人を隣町まで運び、またいつものルートに戻る途中のことだった。




手を挙げている女性の二人組を見つけて、車を道路脇に寄せる。




「それでは、またご連絡しますので」




一人は見送りのようだ。
眼鏡の女性を後部座席に乗せると、浅めに頭を下げた。




「先生。必ず復活できると私は信じています」




眼鏡の女性は軽く頷いたものの、表情は浮かない。




ドアを閉めると彼女は行き先を告げる。
海沿いの辺りだ。




「いいですね。雪の降る海というのもなかなかの景色でしょう」




「ええ、まあ」




彼女は返事をするのも億劫そう。




天候が悪くなると、人の心も塞ぎがちになってしまうものだ。




「今更私に漫画なんてね…」




独り言だろうか。
そう呟いたように聞こえた。




そう言えば、この女性を乗せた場所は出版社の前だった。




先生と呼ばれていたし、きっと漫画家なのだな。




「……もう無理だよ」彼女は俯く。




何か少しでも空気を変えられればと、運転手はラジオをつけてみた。




いつもなら音楽が流れるところだが、今日は少し前に始まったスポーツの大会について報じている。




どうやらメダルを逃した選手への励ましのメッセージが読み上げられているところのようだ。




『今回は残念でしたが、必ず復活できると信じています。これからも応援しています』




どこかで聞いたような台詞だ。




女性は窓の外をぼんやりと眺めている。
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