死神と逃げる月
□全編
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《鱈》
雨の日は好きになれないな。
彼女は思った。
さすがにお気に入りの日傘を差す訳にはいかないもの。
「いらっしゃいませ」
憂鬱な気分で魚屋さんを覗いていると、店の奥から若い女性が出てきた。
本当は林檎を買いたくて八百屋に行ったのだけど、珍しく閉まっていたのだ。
そのまま帰るのもどうかと思い、夕飯に魚を買っていくことにした。
「今の時期だと、どんな魚がいいかしら」
そうですね、と女性は魚たちを見渡し
「この鰤とか、鱈なんか淡白で美味しいみたいですね」
美味しいみたい、とは何とも説得力のない言い方。
あまり魚を食べない人なのかしら。
「魚以外だったら、牡蠣なんかもオススメですよ」
確かにどれも美味しそうだけど。
私の作った料理を、あの子は喜んで食べてくれるだろうか。
そもそも魚や貝は、あまり好きではないようだし。
「あ…」
気付けば雨は、雪に変わっていた。
雨の日は好きになれないけれど、雪は嫌いじゃない。
病室から雪の降る様子を眺めては、見惚れていたものだ。
魚へんに雪で、鱈。
そうだ、今日は鱈にしよう。
お鍋にでもしたら、子供も食べやすいかもしれない。
日傘の代わりに雨傘を差した彼女は、林檎の代わりに鱈を携えて帰路につく。
雨の日の憂鬱は、いつの間にか姿を消していた。