死神と逃げる月
□全編
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《空飛ぶ封筒》
この商店街は寂れている訳ではないが、賑わっているとは決して言えない。
主婦が夕飯の材料を買いに来る時間帯を過ぎれば、うちの八百屋も客足が途切れて暇になってくる。
びゅうと一陣の風が吹いたのは、私がちょっと一服と思い店の奥へ向かった時だ。
「おや。何か今、飛んできたぞ」
風に運ばれてきたのは、小さな封筒だった。
よく見かける茶封筒ではなく淡い水色の可愛らしい封筒で、すぐにそれが手紙の類だと分かった。
誰の落とし物だろう、と店先に出て辺りを見渡す。
「すみません。それ私のです」
道の向かい側から声がした。
見ると大学生くらいの女の子が立っている。
あれは同じ商店街の中にある魚屋の娘さんだ。
うちの息子と高校時代に同級生だったこともあって、私とも顔馴染みだった。
車に気をつけながら、こちらへ道を渡ってくる。
「良かった。どこに飛ばされたかと思った」
ホッとした様子で、大事そうに水色の封筒を受け取る。
ちょうど彼女がさっきまでいた場所には真っ赤なポストが立っている。
彼女は手紙を出すのが好きらしい。
誰かと文通でもしているのか、投函に来るのを週に2〜3回は見かける。
「今日は店番はもういいのかい」
彼女は何も言わず、少しだけ笑った。
大人しく引っ込み思案な子のようで、あまり口数多く喋ったりはしない。
「春の風って意地悪ですね」
それだけ言うと、またポストに向かって走って行った。