死神と逃げる月
□全編
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《先輩》
「最近よく来るようになったな、黒助」
ホームレスの男はまた金歯を見せて笑った。
実に嬉しそうだ。
しかし黒服の男は、何もその男に会いに来ている訳ではなかった。
死神の仕事の都合上、彼は病院に行かなければならない時がある。
そのために電車を使うから、よく駅前をうろうろしているだけなのだ。
そして今日も、仕事ではないが少し病院に立ち寄ってきた帰りだ。
「どうだ。お前も俺たちの仲間入りする気になったか」
ホームレスの男は何としても黒服を世話したいらしい。
家がない、という意味では既に仲間入りしていると言えなくもないが。
「大丈夫だ。ここでならお前もみんなとうまくやっていけるさ。秘訣はひとつだけだ」
そう言う男だが、前よりは多少痩せたかもしれない。
世話を焼きすぎて自分の食いぶちが減っている、なんてことはないだろうか。
「それは先輩を敬うことさ。この公園にも上下関係ってもんがある。お前にだって学校の先輩とか職場の先輩とか、いただろ」
元野球選手だけあって、実に体育会系らしい秘訣だ。
職場の先輩か。
黒服は記憶を探ってみた。
しかし彼は、この街にいた前任の死神のことは知らない。
どうして交代することになったのか、それも知らされなかった。
彼らはただ、宇宙の営みの中に浮かんで回っている屑星のようなものだ。
「とにかく先輩は大事にしろよ」
もしかしたら。
黒服は思った。
この鬱陶しい男は、ただ寂しがり屋なだけではないだろうか。
つまり、ホームレスの先輩である自分を大事にしてくれよ、そう言いたいのではないか。
ああ実に面倒なことだ。
黒服はただ病院の帰りに、公園の噴水が見たくなっただけなのに。