死神と逃げる月
□全編
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《Shadow》
看護師に案内をされて、写真好きの彼は父のいる病室へと向かった。
いつものようにカメラを持って出歩いていた彼がその報せを受けたのは、救急搬送されてから何時間も後のことだ。
あの父が突然倒れたと聞いて頭が真っ白になった。
今しがた、医師から簡単に説明を受けたがそれもほとんど頭に入っていない。
確か、肺気腫とか急性憎悪という言葉が出ていたと思う。
つまり肺がかなり悪くなっていて、それに伴う合併症もあるのだそうだ。
今すぐ生命に危険が及ぶ、という訳ではないらしいのだが、
「今は状態は落ち着いています。今後は病気の進行を遅らせるための治療、ということになります。もちろん退院後も喫煙は厳禁です」
進行を遅らせる治療。
それはつまり、完治することはないということだろうか。
不意に廊下の一番奥の扉が開いて、誰かが病室から出てきた。
動揺していたせいか、その男の姿は不思議と輪郭がぼやけて見える。
ただハッキリと分かるのは、全身真っ黒な出で立ちだということだ。
黒い帽子を被り、同じく黒のロングコートのようなものを羽織っている男。
廊下の途中ですれ違ったが、顔はよく見えなかった。
まるで実在しない「影」のような存在感。
看護師も彼に対して会釈すらしない。
「あちらの病室になります」
「え?」
看護師が指し示したのは、紛れもなくその黒服の男が出てきた病室だ。
思わず振り返るが、既に廊下の角を曲がっていったらしく男の姿は消えていた。
「さっきのは…もう誰か見舞いに来ていたんですか」
看護師は扉に手をかけながら、怪訝そうに答えた。
「いいえ?搬送された時に付き添っていた方以外では、面会はあなたが初めてですよ。どうぞ」
写真好きの彼はもう一度、廊下を振り返った。
病院関係者でもなさそうだったけれど。
さっきの「影」は一体、何者だったんだろう。