死神と逃げる月
□全編
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《独白》
「あ、こないだの猫ちゃん」
伏し目がちに歩いていた漫画家の彼女が見つけたのは
ブティックの一番目立つショーウィンドウで、つんとすましている真っ白な猫だった。
確か以前この猫に、彼女は近くの路上で会ったことがある。
「このお店の猫ちゃんだったんだね」
猫好きな彼女は、そのショーウィンドウの前にしゃがみ込んで頬杖をつく。
曇りのないガラスには、いつもより少し賑わう駅前の人通りが映り込んでいた。
よく見れば新成人と思しき着飾った若者たちが、そこかしこに見受けられる。
「ああ、もうそんな季節なんだ」
彼女は振り返り、羨むでも蔑むでもなくその若い群れを眺めた。
まるっきり他人事、別世界の出来事というように。
そういう見方をしなければ、若かりし夢に溢れていた頃の自分を重ねてしまいそうだからだ。
あの頃の自分が今の私を見たら、どんなにガッカリするだろう。
「ねえ猫ちゃん、聞いてくれる?私さ、漫画描くの怖いんだ。もう自信がないんだよ」
思わず弱音が溢れた。
彼女はもう長い間、漫画家としての仕事にありついていない。
それどころか、机に向かってもペンが全く動かないのだ。
「だけど私のアイデンティティーってそれくらいでしょ。このまま落ちぶれて田舎に帰るのだって嫌よ」
猫は髭をいじりながら、時々彼女の方をチラリと見やる。
聞いてるわよ、続けて。
そう言っているかのようだ。
「私もう、どうしたらいいのか分からないんだあ」
彼女には今まで、こんな弱音を漏らせる友達もいなかった。
言いながら、ああ私結構追い詰められてる、と彼女は思った。