死神と逃げる月
□全編
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《心残りが晴れたら》
寝室の電気を消して布団に入り、目を閉じた。
遠くで除夜の鐘が鳴っている。
独り暮らしのお婆さんは、もう独り暮らしではなくなっていた。
「実に…」
不意に暗闇の中、誰かの囁く声がする。
「実にいい夜だね、婆さん」
「おや、あんた死神かい?」
声の主がすぐに分かったのは、聞き覚えがあったからだけではない。
そろそろ来るのではないかと、お婆さんも思っていた。
「約束通り、迎えに来たよ婆さん」
「どうしてもかい……いや、そうだね。あの子が帰ってくるまで待ってくれていたんだから、これ以上ワガママは言えないね」
ここ数日は本当に幸せな時間だった。
一緒に食べられないのは残念だけれど、最後におせちも作ってあげることができた。
上出来の死に方じゃないか。
息子は今、隣の部屋で寝ている。
この会話も、もしかして聞こえていたりしないだろうか。
「もう心残りは無いかい」
「それがひとつあるのよ」
「聞こうじゃないか」
姿の見えない彼は言った。
「もし会ったらでいいんだけど、謝りたい相手が2人いてね。代わりに伝えといてくれないかい」
「それは誰だろう」
「1人は若いセールスマンの男の子。最後に会った時、ちょっと冷たくしてしまったからね」
「ああ、彼なら知っている。話したことはないが」
「もう1人は…「返す人」と名乗っていたんだけど。私とても辛く当たってしまったの」
「返す人だって?」
死神が小さく微笑んだような気がした。
「承知した。伝えておくよ、もしも会ったならね」
その返事を聞き届けると、お婆さんは安心して再び目を閉じた。
遠くで除夜の鐘が鳴っている。