死神と逃げる月
□全編
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《おせち》
年の瀬ってやつは商店街もバタバタと忙しいもんだ。
正月の福引きの用意やら、餅つき大会のチラシ作りやら
町内会の役員でもある私は朝から晩まで働きづめだ。
だけどお祭りごとは大好物だから平気さ。
いつもより煙草の本数は増えているがね。
「八百屋さん、ごめんください」
店先に誰か来たみたいだな。
やあ、これは。
大通りの向こうの、ばっちゃんじゃねえか。
「おせちを作ろうと思ってね。いい野菜があれば買いたいんだけど」
ああ、タケノコやらニンジンやら、上物を仕入れてあるよ。
それにしても、このところ見かけなかったから心配してたんだよ。
「ちょっと体の具合が良くなかったからね。でももう大丈夫さ」
そう言われれば、少し痩せたんじゃねえかい。
うちの野菜食って、しっかり力つけてくれや。
「実はね、息子が帰ってきたんだ」
えっ、あの随分昔に出てったあいつがかい。
それ以来ずっと音信不通だっていう。
「そうなんだよ。何でもね、仕事に失敗して…おっきな借金を作っちまったんだと。そっからあちこち転々としながら、コツコツ働いてようやく返し終えたって話さ」
それで、みっともねえし迷惑んなると思って連絡を断ってやがったのか。
馬鹿だねえ。
そんな意地張らねえで、困った時は私らに頼っちまえばいいのによ。
まあ何にしろ良かったじゃねえか、ばっちゃん。
「久しぶりに親子で過ごす正月だろう?だから腕によりをかけて、豪華なおせち作ってやろうと思ってね」
そういうことなら合点承知。
新鮮な野菜を見繕ってやるから任せときな。
大根はおまけだ。
雑煮も作ってやってくれ。
「いいのかい。ありがとうね」
それじゃあ、良いお年を。
「ああ。良いお年を」