死神と逃げる月
□全編
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《春を届けに》
「僕はここの景色が一番好きなんだ」
誰に言うでもなく、郵便配達夫の彼は呟いた。
大きいようで小さな街なので、配達のルートはいつも大して変わらない。
その途中で必ず、彼は海辺のカーブを走るのだ。
海岸より二層ほど高くなっている道路からは、緩やかな水平線を臨み
反対側を向けばドールハウスみたいな、西洋風の住宅が連なっている。
まだ海水は冷たいだろうけど、浜辺には親子連れや若者の姿が見えた。
ああ春だ。
そして彼は手紙を運ぶ仕事をしているが、きっとその手紙の中にもそろそろ春が顔を出しているに違いない。
並んだドールハウスのうちの1つにバイクを停めて、封筒の宛先を確認する。
ここだ。
「さあ春をお届けに来ましたよ」
ちょっぴり気取って郵便受けに封筒を差し込み、彼はバイクに戻る。
ふと顔を上げると二階の窓から眼鏡の女性が、つまらなさそうに頬杖をついてこちらを見ていた。
配達夫の彼は会釈をしたんだけど、女性はカーテンを閉めてしまった。
緑色の、ドールハウスによく似合うカーテンだった。