死神と逃げる月

□全編
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《Do you remember me?》




「私のこと、覚えていらっしゃいませんか?」




黒服の男は首を傾げた。




道の真ん中で出会い頭に、見知らぬ女性がそう尋ねてきたのだ。




今日は晴れているとは言え、夏のような強い日差しではない。




それでも女性は淡い桃色の日傘を差している。




「それは俺に?」




訊き返すと、彼女は頷く。




女性にしては低く落ち着いた声で「覚えていらっしゃいませんか?」と繰り返した。




「や、申し訳ないが覚えがないんだ」




「そうでしょうね。もう20年近くも前のことですもの」




20年!
じゃあまだ彼女は小さな子供だったはずだ。




どうだろう、心当たりはあるだろうか。




その頃の黒服は、確か少し離れた別の街で仕事をしていたと思う。




何か手掛かりがないかと、女性を観察する。
指先に白い包帯が巻かれていた。




「や、その、実に可憐な大人の女性になったものだ。とても素敵だ」




ひとまずそう言ってはみたが、やはり思い出せない。




それを見透かしてか、女性はクスクスと笑った。




「ありがとう。私が今日まで生きて来られたのも、あなたのおかげです」




「俺の?」




黒服が訊き返すと、また彼女は頷いた。




「私は死神のあなたに助けられたことがあるんです」




死神に助けられた?




そんなおかしな話があるだろうか。




もし本当に死神が、死ぬはずだった者の命を救った場合




その死神には厳罰が与えられる決まりなのだ。




黒服にはそんな大それたことをした覚えもないし、この女性の勘違いではないだろうか。




「あら、もうこんな時間。死神さん、しばらくこの街にいらっしゃいますか?」




「ああ、今はこの街で仕事をしている」




「それじゃあ、また今度ゆっくり」女性は会釈をして去っていく。




彼女は誰だったか。
黒服は、やはり思い出せなかった。
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