死神と逃げる月
□全編
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《栞》
物語も百を数えたところで
始まりを探す彼女は一旦、栞を挟むことにした。
栞を挟むと言っても本を読んでいる訳ではないし、それはあくまで比喩表現なのだが。
ただ傍観し続けるというのも、肩が凝るものなのだ。
その間に、物語の舞台となっている街の地図でも書いておこうか。
海岸沿いの何層か重なったカーブとドールハウスのような西洋風の家。
イチョウ並木坂のある郵便局。
河原の土手をずっと歩いた先には、整備工事中の山林と山小屋。
廃線になったバス停跡のベンチ。
駅前の本屋、映画館、ブティック、それからホームレスたちが暮らす公園。
八百屋と魚屋と、ポストのある商店街。
近くに小さな診療所はあるけれど、大きな病院は街から少し離れている。
タクシーの巡回する道の途中にはガソリンスタンドと牛丼屋。
そして
それらと一切の繋がりを持たない、この窓のない部屋。
彼女は常に蚊帳の外で孤立している。
にもかかわらず、ずっと観察していたせいか気付けば自分まであの街にいるような気になっている。
実際、どこか見覚えのある景色が多いのだ。
どこにでもある平凡な街並み、ということなのだろう。
あるいは、この部屋に来る前にあの街を訪れたことがあったのかもしれない。
以前の記憶は一切残っていないので分からないが、もしかしたら。
それはつまり
この部屋での暮らしが始まる前の、彼女の本当の始まり。
彼女はずっと
忘れてしまったその「始まり」を探していた。