死神と逃げる月
□全編
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《その頃》
その頃
売れない漫画家は売れない漫画を描き
林檎を買う女性は林檎の入った袋とお釣りを受け取り
英雄気取りの小学生は怪獣気取りの大型犬と睨み合い
八百屋の息子は八百屋を手伝わずにカメラを構え
嘘吐きな彼女はこっそり本当のことを言い
暢気な彼は暢気に月と追いかけっこをし
誰も知らない野球選手は誰にも知られないままに引退の日を迎え
独り暮らしのお婆さんは今日も独りで暮らし
タクシーの運転手はラジオの音を聞き流し
ナゼナニ女の子は疑問の尻尾を捕まえ
魚屋の娘は店番をしながら手紙の配達を待ち
返す人は返す物を返し
猫のサチコはUFOを見つけ
某国の元首は架空のミサイルに脅かされ
泣き虫な赤ん坊は泣き疲れて眠り
死神は歌を、歌っていたその頃
「始まり」を探す彼女はシャワーを浴びることにした。
彼女はシャワーを浴びることが「始まり」だと結論づけた。
ある日突然、転校生がやって来るように
連続する日常にミシン目を打ち、新しくするきっかけを作るとしたら
シャワーを浴びるのが一番だと結論づけた。
その頃
月は逃げていた。
遠く遠く。