死神と逃げる月

□全編
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《某国の街角》




「停電みたいですね。ちょっと訊いてきます」




写真好きの彼は夕食の手を一旦止めて、ゲストハウスのオーナーを呼びに行った。




彼は今、先輩カメラマンの旅にアシスタント兼通訳として同行している。




今日訪れたその街では、しょっちゅう停電が起きるそうだ。




都会のように夜道も煌々と照らされてはいないが




ここに暮らす人々の表情は明るく淀みがない。




「私は元首なのだ」




ゲストハウスの玄関を出たところに、浮浪者のような身なりをした男がいて




路傍をウロウロ歩きながら、ずっと一人で何かを叫んでいる。




「良いか。戦争は目に見えるとは限らない。気付いた時にはもう遅いのだ」




演説でもしているつもりだろうか。




模型の飛行機を手に持って、高らかに富国強兵を訴える。




大人は呆れて素通りし、子供たちだけが物珍しげに集まっていた。




「そんな飛び方じゃ、すぐ撃ち落とされるぜ」




「おじさん本物見たことないだろ」




「おいら知ってる。国旗が描いてあって、すげーうるさいんだぜ」




裸足の子供たちは口々に飛行機を語る。




「私は元首なのだ。今は薪に臥して胆を嘗むばかりだが、必ずや復権してみせる」




纏わりつく子供には目もくれず、拳を力強く押し出した。




かと思うと飛行機を高く掲げ、「ぶーん、ごー」と飛ばす。




まるで玩具で遊んでいるただの子供だ。




「そうだ。私が、あの国を守らなくては」




「あの国」と言うからには、男が元々暮らしていた場所はここではなさそうだ。




写真好きの彼は、その光景をしばらく眺めていたが




一度だけシャッターを切ると、オーナー宅に向かった。




これまでにどんな道程を歩んできた人物なのかは分からないが




現像された写真は、男の胸中にある何かを語るかもしれない。
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