死神と逃げる月

□全編
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《彼方》




遠く遠く。




意識の彼方から




タクシーの音が聴こえる。




ここは何処だろう。




そうか、病院だ。




漫画家として再起を懸けた作品を




いや、むしろ最後の作にするつもりで描いたものを




無惨にも踏みにじられたんだ。




信じた私が愚かだったさ。




なんて惨めでカッコ悪いんだろう。




恥ずかしくて堪らなくて




もう何もかも、どうでも良くなって




それで私は




気付いたら海にいた。




故郷に帰れる。
そう思ったよ。




だけど足がもつれて、なかなか前に進めない。




必死で波を蹴りながら、沖へ沖へ。




突然、体が宙に浮いたかと思うと




引力に引っ張られるように、私は押し流された。




そして、ああ近所の人が救急車を呼んだのね。




今になってようやく、何が起きたか理解した。




どうやら体は動かせそうにないし




このまま楽になるのも、それも悪くはないのかもしれない。




やるだけのことは、やってきた。




その上で全てを失って、何を惜しむことがある?




私はもう、終わりで良いんだ。




それなのに、誰だろう。




誰かがタクシーで、ここへ向かって来る。




意識の彼方から




タクシーの音が聴こえる。
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