社長
□エンキョリレンアイ
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わたしは、聞き分けの良い女だから。
どんな仕事でもそうなのだけれど、芸能界というのは、とても神経を使う業界だと思う。上下関係が厳しく、プロデューサーに気に入られていなければ番組にも出れない。毎日毎日、根回しやらなんやらで、僅な失態でも、自分の身を落とすだけでなく、周りにまで迷惑をかける。
正直、自分で言うのもなんだけど、私は人一倍頑張ってるし、他人より使える人間だと思う。今日も、後輩がしたミスをフォローし、新しくスペシャルドラマの仕事も取ってきた。
毎日帰宅する時間はバラバラで、身も心もボロボロ。もうそろそろ限界。
――こんな時くらい、許されるよね?
そんな安易な気持ちで、私はアドレス帳を開き、ある人に電話した。
「もしもし、鈴井さん?」
『もしもし〜?ん、権兵衛ちゃん、どした?』
「あ、うん、今日は早く御仕事終わるってメールにあったから、声聞きたくて、電話しちゃった……」
『んふふ、可愛いこと言ってくれるね〜。おじさん嬉しいよ。……ただねぇ、実は今日、オクラの来月のスケジュールで、ちょっと問題が起きちゃって、実はその処理でまだ残業中なんだよね〜』
「え!あ、すみません!お忙しいですよね!!本当にごめんなさい、じゃあ、失礼します!」
『あ、いやそうじゃなくって『本当ごめんなさい!』
慌てて受話器を置く。やってしまった。鈴井さんの邪魔なんかしたくなかったのに。会いたい会いたいって気持ちが先行し過ぎて、我慢を忘れてた。
「あーあ。ずっと迷惑かけないように抑えてたのに、全部台無しになっちゃったなぁ」
深くため息をついて、テレビをつける。画面の中で、面白くもない芸人たちが、面白くもないギャグをして、無機質な笑い声があがっている。
チャンネルを回すと、たまたま水曜どうでしょうがやっていて、思わず身を乗り出すけれど、四国八十八ヶ所の旅で、藤村さんと口論する洋ちゃんと、車酔いをしているリーダーだけで、あの人の姿はない。
いちいち一喜一憂する自分にうんざりしつつ、DVDプレイヤーをつけてお気に入りの映画を流す。冷蔵庫から缶ビールを取り出しプルタブを開けたところで、仕事を思い出した。自分の担当しているタレントが出演しているドラマの脚本に目を通して、所謂「事務所NG」でないかを判断する大事な役目。私はDVDから聞こえる音声をBGMに、硬質な紙のページをめくっていった。
何時間か経った頃、いつの間にか寝てしまっていたようで、DVDは最初のメニュー画面に戻り、大事な脚本にはしっかり開いたあとがついてしまっていた。
もう、本当に今日はダメな日だ。
時間は夜の0時過ぎ。ダルい身体に叱咤して、また取りかかろうとしたとき、突然部屋のインターホンが鳴り響いた。こんな時間に誰?と疑問に思った次に出てきた思考は、「期待」の2文字。電話のことで心配して、来てくれたんじゃないか、と。
「鈴井さん!」
一気に元気を取り戻した私は、ドアに向かって短い廊下を駆け抜け、鍵を全て開ける。この鍵も、鈴井さんが、「女の1人暮らしは物騒だから」とつけてくれたもの。
最後にチェーンの鍵をはずして外にいる愛しの彼に飛び付くと、嗅ぎ慣れない匂いに驚いて反射的に離れる。
顔を見れば、そこにいたのは、CUE所属にして、私のご近所さん、よく部屋にも遊びに来てくれる顕ちゃんだった。
「ごめん!!」
あきらかに驚いた表情をしている顕ちゃんに謝ると、すぐに彼は頬を緩めて優しく「大丈夫だよ」と言ってくれた。
「こっちこそ、なんか期待させちゃったみたいで、ガッカリしたよね、ごめんね?」
「全然、そんなこと……」
ガッカリはしていない、けど、鈴井さんを期待してしまっていたのも事実だから、何も言えなくなってしまった。
「……まぁ、こんなとこで立ち話もなんだし、部屋あがっても良いかな?」
「あ、うん、どうぞ!!」
顕ちゃんには、とても仲良くしてもらってる。同年代って訳じゃないけど、わりと歳も近くて、面白くて、優しくて、頼りになるお兄ちゃんみたいな存在。
「でも、こんな時間にどしたの?」
顕ちゃんに缶ビールを渡しながら、疑問を投げ掛けると、なんてことないとでも言うように、
「権兵衛に会いたくなっちゃって。」
と、予想外の答え。
「なんとなく、権兵衛が弱ってるような気がして、たまらなくなって、来てみたんだけど。俺を呼んでるかな?みたいな。迷惑だったかなぁ?」
申し訳なさそうに言う顕ちゃんがなんだか可愛かった。
「ううん、予想的中。すごい弱ってたとこ。」
「そっか。」
顕ちゃんは、あれこれ聞いてこないところがいい。私が話したいときに、話したいことだけ、言えばいいからって言ってくれる。
私たち二人は、他愛もない話をしながら、互いに酒に潰れてしまった。
―――ブブブブブ
携帯のバイブ音で目を覚ませば、上司からの着信だけで21件。慌てて時間を確認したら、10時を過ぎたところ。
「やっちゃった!!!!」
慌てて立ち上がろうとしたら、いつの間に起きたのか、顕ちゃんに左腕を掴まれ、そのままストンと尻餅をついてしまった。
「顕ちゃん、あたし、遅刻し「ちょっと待って」
顕ちゃんは私の携帯を取ると、着信履歴から上司の番号を出して発信ボタンを押すと、耳に携帯をあてた。
「あ、もしもし。ああいえ、名無しのさんじゃありません。そちらの事務所でお世話になっている安田です。え?はいはい、いや、形式的な挨拶とか別に良いですから。あの、今日名無しのさんお休み貰えます?無理?そう、じゃあ聞きますけど、この1ヶ月、彼女に休みありました?無いでしょう?それって不法なんじゃないかなぁと思うんですよねぇ。ええ。あ、別に脅してる訳じゃないんですよ?ただねぇ、彼女の為なら、Amuseさんと契約解消する覚悟のある人間、僕を含めて5人はいるんですよ、ええ。果たして貴方の上司は、貴方とNACS5人、どちらをとりますかね?……ご承知頂けたなら、今後、名無しのさんへの態度等、見直していただきたいですね。とにかく、今日、有給大丈夫ですね?はい、ええ、はい、今後ともよろしくお願い致します。はい、失礼します。」
一仕事終えた、と言わんばかりに、顕ちゃんは携帯の電源ボタンを押した。
「……顕ちゃんすごい。」
「あはは、これでまたしばらく権兵衛と一緒にいれるね。」
ニコッと笑う顕ちゃん。やっぱりお兄ちゃんだなぁ。
「ありがとう。お礼に、朝ごはん作るね!」
勇んでキッチンに立ち、パパッと目玉焼きと味噌汁と鮭の塩焼きを2人前作り、コーヒーを添えた。
「権兵衛は料理上手だよなぁ……これもこれも、みーんな美味い。」
「うん、料理だけは、自信あるんだ〜」
得意げにご飯を頬張っていると、部屋のチャイムが鳴る。
「今度は誰だろ?はーい、いま出ますよー」
ぱたぱたとドアに行き、チェーンをしたままドアを開ける。
「!?」
「やぁ、おはよう。」
ドアの隙間から覗き込んで来たのは、昨晩会いたくて仕方がなくて、電話をした相手。
「鈴井さ……なんで!?」
「いや〜権兵衛ちゃん電話切っちゃうんだもん、僕だって心配するんだから〜」
「それでわざわざ会いに?」
「そーだよ?だからほら、チェーンはずして中に入れてくれる?」
「は、はい!」
「ん〜?権兵衛、どした?」
チェーンをはずすためにドアを一度閉めたとき、なかなか戻ってこない私を心配して、顕ちゃんが奥から出てきた。
「あ、あのね、今ね、」
ガンッ
そこまで言ったところで、ドアを無理矢理開けようとしてチェーンが引っかかる音がして、パッと振り返ると、鈴井さんがドアを開け、凄い形相でこちらを睨んでいた。
「権兵衛ちゃん、今1人じゃないの?」
「あ、その、えっと、」
「僕が来れないと思って、それをいいことに男連れ込んでたわけ?」
「いや、そうじゃなくて」
「僕、邪魔したのかな?」
「違うんですって「そうですよ。」
顕ちゃんが、私の声を遮ってとんでもないことを言い放った。
「せっかく、社長いなくって、権兵衛が弱ってるから株を上げるチャンスなんですから、空気読んでくださいよ。」
なんだか、5月だというのに部屋の冷たく感じた。長い沈黙のあと、鈴井さんは静かに口を開いた。
「そう、顕ちゃんかぁ、いたのは。」
「あの、昨日、電話のあと、たまたま来てくれて、それで、一緒に飲んでて、それで」
「権兵衛ちゃんは僕の味方をするんじゃなく、あっちをかばうんだね?」
「そんな!顕ちゃんをかばうとか、そうじゃなくて、鈴井さん誤解してるから、」
「……今のが、一番傷付いたかも。」
鈴井さんは、ドアをバン!と閉めて、居なくなってしまった。
「待って、鈴井さ「権兵衛ちゃん。」
ドアノブをひねる手に顕ちゃんの手を重ねられ、静止させられる。
「さっきの、わりと本気なんだけどなぁ。」
「さっきの?」
「うん、株を上げようってやつ。」
「え……」
「権兵衛ちゃん、鈍感だから困っちゃうよ〜
僕は君が好きだ。」
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