フリリク一覧

□あと**日で終わる世界
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ぺたりと柔らかな感触を両耳に感じ、辺りがこもったように静かになる。
楽譜から目を離して軽く首を後ろに向けると、ミクさんが笑っているような泣きそうなような不思議な表情をしてこちらを見つめていた。


「どうしたんですか?」


耳の中で自分の声が反響してとても変な感じだ。
ミクさんは自分の手を俺の耳にあてたまま、唇を耳元に近付けて囁く。


――このまま逃げてしまいたいね。


そんなことを言った彼女に、何を言えば良いか分からずただ首を傾けた。
そんな俺を見てミクさんは辛そうに苦笑する。


「ねえ、レンくん。人はさ、」


ためらうように伏せられた睫毛があまりに綺麗に光を落とすので、思わず少しみとれてしまった。
ミクさんのおぼろげな声と自分の鼓動と、小さな空気の流れる音。
それだけの世界に、なんだか思考がふわふわする。
なんて、実際は早鐘を打つ心臓と熱くなる体が、そうさせているだけかもしれないけど。

ミクさんはしばらく間をあけた後、また目をあげてこちらをじっと見た。相変わらず綺麗な瞳。


「どうして、人はこんなに音楽が好きなんだろう。」
「そ、れは、」
「どうして人は音楽を愛すの?どうして世界にはこんなに音楽が溢れているの?」


呟く声は小さくて、耳をふさがれてる俺は必死に耳をすます。
ミクさんはまた悲しそうに笑って、俺の肩に頭を乗せた。
小さな体だ。
いつも明るいミクさんは、たまに心を弱らせて、とても小さな女の子のように見える。細くて、折れそうな体。
その体に、彼女は俺には想像できない程の何かを背負っているのだろうか。

歌姫としての重み、責任、誇り、
そして、不安。


「レンくん、レンくん、怖いよ。」


ミクさんが喋る度に、押し当てられた肩がくすぐったい。
だけどそのくぐもった声に、消えそうな震えに、笑う気持ちなんて全くおきない。

ふいに部屋のカレンダーが落ちて、ガタリと音がなる。
思わずそちらに顔を向けると、ミクさんがビクリと震えた。
ぎゅっ、と両手に力を入れられ、耳の中がさらにこもっていく。


「ミクさん?」
「聞かないで。」
「え?」
「何も聞かないで。」


切実なその音色に、思わず背骨がびくりと震えた。


「ね、レンくん?世界は音が溢れすぎてるんだよ」
「……ミクさ、」
「嫌だよ、レンくん。私を見て、」
「ミクさん」
「違う、違う、そうじゃない分かってる。だけど怖いの。」


ミクさん、ミクさん、そんなに顔を伏せられたら聞こえないよ。
体をよじって彼女に向き直り、俯いた頭と背中をそっと撫でた。
ずっと俺の耳をふさいだままで、腕は痛くないんだろうか、なんてぼんやりと考える。


「レンくん、怖い。たすけて。」


独り言のようにぽつりぽつりと呟く彼女は、やはり俺には支えられない何かを抱えているのだろうか。
彼女はとても大きくて暗い何かに、囚われ続けているのだろうか。

だけど、胸が痛むのは、大好きなミクさんが苦しんでいるからってだけでは、ない。

分かるんだ。
全部は無理でも、俺にも分かる。
だって、


「私、いつか、埋もれちゃうのかな。」


だって俺も、ボーカロイドだから。

俺たちは、音楽だ。
歌手ではない、音楽。
愛し愛され、そして飽きられて。
自分らしさとか言いながら、やっぱり流行の波に逆らうことなんてできない存在。

この世界には、音楽が多すぎるのだ。


「レンくんは、離れていかないで。」


レンくんは、私を忘れないで。

そうやって震える彼女に、もう俺は聞いているだけなんてできなかった。
ばかばか、ミクさんのばか。


「ミクさん」


彼女の背中を撫でていた手で彼女の手を勢いよく掴んで、俺の耳からミクさんの両手を引き剥がした。
驚いて肩から顔を上げるミクさんの頬を挟む。


「俺を見て。」
「レンくん?」
「黙って見て。聞いて。」


遮るものがなくなり、一気に世界が鮮明になったような感覚が襲ってくる。
潤んだ瞳で俺を見つめる彼女の瞳を覗き込むと、なんだか無性に泣きたくなってしまった。
愛しい、悲しい。
ただ、そう思った。
この世界が、世界中の音楽が、そして世界中の音楽を愛し世界中の音楽を恐れている彼女が。


「ミクさんは、馬鹿です。」
「っ、ごめんなさい、」
「耳を塞がれたら、何も聞こえません。」
「そう…だよね」
「俺の大好きな、ミクさんの声も。」


俺がそう言うと、ミクさんは小さく息を飲んだ。
ほら、そんな様子だって、耳をすまさなきゃ聞こえない。
彼女のことは、何だって分かっていたいのに。
彼女の音は、何だって聞いていたいのに。


「こもった世界で、飽きられることなく、二人きり。それもきっと素敵です。」


何だか見つめているのが恥ずかしくなったので、ミクさんの無防備なおでこにキスをした。
しかし、瞳を潤ませたまま頬をほんのり赤くした彼女に、こちらまで顔が熱くなっていく。
不安と一緒に愛しさや恥ずかしさまで共存できるのだから、何ていうか本当に感情って、不思議なものだよな。


「でも、やっぱり俺は、世界中を愛して、世界中を歌う、そんなミクさんの歌を聞いていたいんです。」


くもった音なんかじゃもったいない。それくらい俺はミクさんの歌に惹かれている。

僕らは音楽を恐れている。
けれどやっぱり、僕らは音楽を愛している。
俺も、ミクさんも。


「世界に永遠なんて1つもありません。だから、だから、」


それならやっぱり、俺達は歌っていよう。
それしかできないし、それしか知らないし、それが一番大切なことだから。


「何度も埋もれて、捨てられて、それでも愛される瞬間が確かにあるのなら、俺はミクさんと歌っていたいんです。」


だから耳なんて塞がないで、手を繋いでいましょう。

そう言うとミクさんは眉を下げて泣きそうな顔をして、それからにやけているようにも見える歪んだ下手な笑顔を浮かべた。

今日もどこかで音楽が生まれる。
誰かの心を救い、誰かの記憶に残り、そうして同時にその人の頭から古い音楽が忘れられていく。
その、繰り返しだ。
今日もどこかで俺達の歌は忘れられて、そして今日もどこかで俺達の歌に誰かがきっと救われている。
その繰り返し。

なら、歌おう。
塗り替えて塗りつぶされて、それでもまた光を放てるように。
後戻りも、立ち止まることもできない。
歌うのだ。それが生き残る為にたった1つできること。

だけど、辛いだけの道ではない。


「ねえミクさん、なに弱気になってるんですか?」


あえてからかうような声で、言う。
そうだまだ、埋まるわけにはいかない。


「あなたは"未来'の歌姫でしょう?」


ミクさんがハッとしたようにこちらを見た。
まだ、彼女に時代は追い付いていない。追い付かせるわけにはいかない。
いつまでも、未来を生きる歌姫でいなければいけない。


(そんなこと、無理かもしれないけど、それでも、)


ミクさんは、ようやくいつものように強い笑みを浮かべて、真っ直ぐ俺の瞳を射抜いた。
そう、責任や不安を背負った、だけど自信に満ち溢れた、歌姫の表情。


「ねえレンくん、もしも、」


もしも世界に捨てられても、側で歌っていてくれる?

強い瞳を持ちながらまたそんな弱気なことを言う彼女に、思わず笑ってしまった。
愚問すぎる。

問いかけの答えとして、そのままそっとキスをすれば彼女はくすくすと子供のように笑う。
鈴を転がすように清らかなその声は、音楽を産み出す為に生まれた彼女に良く似合っていた。

最後の日までのカウントダウンは、きっと少しずつ少しずつ近付いている。
あとどれくらい歌えるのか、愛されるのか、そんなことは分からない。
でも、どうせ終わりが来るのなら、悔いが残らない位に歌ってやる。
終わりを示す時計の針なんて止めてやる。

そうしていつか終わりが来た時に、お疲れ様とお互いに笑い合えるような、そんな自分でありたいのだ。

キスをして抱き締めて、柔らかなミクさんの髪や香りを側に感じると心が温かくなって、とてつもなく幸せで。
なんかもうそれだけで、無敵になれる気がした。


「さあミクさん、明日はレコーディングですよ。」


ミクさんが大きく頷く。
俺達にとっての音楽は娯楽ではなく、生命活動であり生存競争である。
だけどやっぱり、存在理由といえる程大切で、愛しくて、そして楽しいもの。

幸せでいるために、幸せになるために。
今日も明日も、歌う。歌う。歌う。

それを不安と呼ぶのか幸せと呼ぶのかは、分からないけれど。

愛しいと呼ぶことができるのは、きっと愛しい彼女がいるから。
世界中の音楽に怯えていた中で、胸を張って純粋に好きだと言える歌声を見つけられたから。
そんなことを思って、愛しさが膨らんで、歌声を紡ぐその唇にもう一度キスをすることにした。

そしてほら、手を繋いで。
闇の中を歩こう。



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