※拒食症注意 マスター、マスター。 私がそう呼びかけると彼女はうっすらと目を開けて、弱々しく笑った。 なんて消えてしまいそうな笑みなんだろう。 先程持ってきてあげた食事には、どこも手をつけていない。 「…マスター、また、食べないんですか?」 「うん。食欲、ないもの。」 そう言う彼女の声は優しく、しかし強い意思を含んでいた。 "絶対に食べない" 声がそう語っている。 いつからか。 マスターは、何も食べられなくなっていた。 最初は私の食事を笑顔でたいらげているくせにどんどん痩せていくマスターを怪しく思っていたが、ついに見てしまったのだ。 食べた後、焦ったようにトイレに駆け込み嘔吐する彼女を。 そして私に見られてから、彼女は食べたフリさえもやめてしまった。 無理矢理食べさせても吐いてしまうので小さな小さな錠剤で今マスターは生きている。 私がボーッと思いにふけっていたら、マスターがぎゅっと抱き着いてきた。 細い腕。 私の為に曲を作ってくれた、力強くピアノを奏でる彼女はもういない。 「…ごめんね、ごめんね、ミク。」 弱々しいマスターの声を聞きながら、私は柔らかな彼女の髪を撫でる。 そして、すう、と息を吸って歌い出した。 ミク、お願い、歌って。 彼女がそう言う前に。 もう、こうなってから何日もたった。 自分のやるべきこと、分かっている。 「ふふふ、」 私がただただ歌い続けると、マスターは幸せそうな声で笑った。 回された腕の力が強まる。 「私、もうミクの歌でお腹いっぱい」 ご馳走をたらふく平らげた子供のような声。 マスターから幸せそうなら私も幸せ。 だけど。 マスター、私は全然お腹いっぱいじゃないです。 私もっと歌いたい。 マスターの歌、もっともっと作って欲しいよ。 …なんて、今の彼女に言えるような勇気、私にはない。 「マスター。」 「なあに?」 「…なんでも、ないです。」 何よそれ気になるーと屈託のない声で笑う彼女は、すぐにまたさっきの弱々しい声でごめんねと呟いた。 ごめんね、ありがとう。 彼女はそう言う。 結局私は歌うだけ。彼女に何もできないし、彼女を叱ることもできない。 (誰か…) 誰か、この状況から、大好きな彼女を救って欲しい。 私の歌を聞いてくれる、求めてくれる、こんな世界は幸せで。 私はもう一人ではないけれど。 それでも 、私は戻りたい。 私だけでなく、マスターの世界にたくさんの音楽が溢れていた頃に。 あなたの音楽を思い出して。 そう思いながらも行動できない弱い私は、ただ彼女の世界を少しでも音で満たせるように、ただ、ただ、歌った。 歌った。 本当に私の歌であなたの空腹を満たせたら良いのに、と祈るように思ったら、彼女が私の心を読んだかのように笑った。 「大丈夫、ミクの歌が、一番のご馳走だよ。」 |