ロング

笑って、笑って。
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「…ふむ。目は覚めたかね?」
「ふわぁい…。起きてますよーっと…」
「何だねそのだらしない返事は!? 全くッ、君には本当に成績を少しでも上げようという気があるのかッ!?」
「はぁっ?? 何言ってんのよ。そんなんあるワケねーじゃん」
「な…何だとッ!?」
「せっかくの夏休みに補習三昧なんて、誰が好きこのんでやるかっつーの。てかあんたが一方的にやらせてるだけじゃんさ」
「き、き…君という奴は…ッ! 自分が今、どんな状況に置かれているのか全く理解していないな!? そうなんだな!?」
「……」


面倒になってあたしが奴の話を適当に聞き流していると、またしても奴が目の前で机をバンッ!! と勢い良く叩いた。


「う、うわぁっ!! な、何すんのよッ!?」
「最下位だぞ、さ・い・か・い!! この間の期末テスト、クラス中ダントツで最下位の成績だったのだよ! 君は!」


……確かに、それは奴の言う通りだった。

夏休み前にあった学期末テストで、あたしは史上まれに見るぶっちぎりの成績を記録してしまったのだ。もちろん悪い意味で。

それを知った時は正直、流石のあたしも地味にショックを受けた。
あたしって、こんなにバカだったんだって。

でも、あたしが勉強出来ないのなんて今始まった事じゃないし、もう開き直るしかないと思ってる。
だって、あたしは『あの子』いわく、残念な奴なんだもん……。


「……あーもー。分かってるわよ、分かってるってばぁ。だからいちいちデカい声出さないでよ。耳がキンキンする…」
「これが大声を出さずにいられるかッ! クラスメイトの失態は、すなわちクラスの学級委員たる僕の責任だ…。僕は今、非常に嘆かわしい気持ちで一杯だ…!」
「………」


頭を抱えて、顔中のあらゆる器官からワケの分からない汁を放出しながら、奴が嘆き悲しんでいる。


…何、こいつ。
超マジで引くんですけど。薄ら寒いわ。

今いる教室の中はエアコン完備で涼しく快適なはずなのに、こいつの周りだけ何だかやけに蒸し暑い気がしてくるから不思議だ。


まあそんなワケで今、私…じゃなくて、あたし江ノ島盾子は奴──石丸清多夏のせいで、連日ほぼ強引に補習を受けさせられていたという訳だ。

目の前の黒板に所狭しときっちり几帳面に書かれた数式は、もはや何かの暗号にしか見えない。
何ですかこれ? モールス信号じゃありませんよね?

もちろん英語でもスペイン語でもフランス語でも、スワヒリ語でもノヴォセリック語でもない。
全く理解不能なんだけど。


「…勉学だけが全てではない事は僕とて承知している。だが、君のこのテスト結果はいくら何でも酷すぎるぞ…。まさか我がクラスに、あの葉隠くんを上回るほどのバカがいたとは…世界は広いのだとつくづく痛感させられるよ」
「う、うるさいな…。ほっといてよ…」
「それでいて、社会のとあるジャンルについてはやたら詳しいのが異様だな…。戦争や軍事施設、兵器に関しての知識がとてつもなく豊富というのは、一体どういう事なのだ? まるで本物の軍人ではないか…正直少し恐ろしいぞ…」
「……ぎくっ」


ふ、ふん、何よ。
「世界は広い」なんて分かったような事言っちゃって。
…世界に出た事もない井の中の蛙のクセに、偉そうに語るなっての。


「……ふむ。君も疲れているようだし、今日の補習はここまでとしよう」
「え…ホント? やったあ、これでやっと部屋に帰れるーっ!」


あまりに嬉しくて、あたしは身体をグイーッと伸ばしてみせた。
ああ、これでようやく解放される!

すると石丸は、安堵感に包まれていたあたしに向かって、さりげなくこんな事を言ってきた。


「あ、それでだ。江ノ島くん」
「ん?」
「言い忘れていたが、夏休みの最終日には補習の総まとめとして小テストを行うので、そのつもりでな。もちろん国語社会数学理科英語、全教科だ!」
「…は?」
「ちなみにテスト問題はこの僕が作成するぞ。少しでも君の成績アップに繋がるような問題を作るから、君も是非頑張ってくれたまえ!」
「…はあああああっ!?」


…まさに寝耳に水だった。
もしくは何もないと思っていた平地に仕掛けられていた地雷を、うっかり踏んでしまったような気分。


「…ちょ、ちょっとぉ! 何よそれ! そんなの聞いてねーし!」
「だ、だから、言い忘れていたとさっき前置きしたではないか…。早く言わなかったのはすまないと思うが…」
「な、何なのよお…それ。横暴よ、横暴じゃんか…」


一気にあたしの視界は真っ暗になった。
ああ…誰かぁ…。誰かあたしに暗視スコープ貸してよ…。
見えないよ、何も…。
希望も何も見えないよぉ…。

ま、このあたしが希望うんたら言うのも皮肉な話だけどさ…。


「まあまあ、そんなに落ち込むな江ノ島くん。夏休み最終日まではあと二週間ほどある。今からでもしっかり学習すれば決して遅くはない。僕も助力は惜しまないつもりだから、安心したまえ!」
「う、うう…っ。マジ最悪…死にたい…。消えるように死んでしまいたい…」
「何て事を…! 君、滅多な事を言うものではないぞッ! 今は辛くても、生きていれば必ず良い事があるはずだ! だから君もそれを信じて、前を向いて進みたまえ! ゴーイング前ウェイ、だぞ!」
「……言っとくけどそのダジャレ、あんたが思ってるほど面白くないからね? 勘違いしないでね? つかそのどや顔マジムカつくからやめて。今すぐやめて」


こんなやり取りを最後に、あたしはようやく教室を出た。
ただ椅子にじっと座ってるだけだったのに、やけに身体が重くてぐったりしてる。精神的疲労がハンパない。

…あーもう、本当に腹立つ。
なんであたしだけがこんな目に遭わなくちゃなんないのよ。


本来なら羽根を伸ばす絶好の機会なはずの夏休みは、この男のせいで一転、一気に生き地獄へと化してしまった。

週の五、六日が補習で丸潰れになるってだけでも絶望的で地獄なのに、挙げ句の果てには最終日に小テストですって? もう意味分かんない。
…おっかしいなー。あたし、地獄巡り体験ツアーに応募した記憶なんかないんだけどなー。


あーあ…。
えーと、今日の補習授業は社会と数学だったから…明日は国語と英語かな?
とりあえず教科書だけは一通り用意していくか。


……え?
そんなに補習が嫌なら、わざわざ行かなきゃ良いって?
サボれば良いじゃんって?

あー……うん。まあ、ね。
それは、そうなんだけどさ…。

ほ、ほら。こう見えてあたしってさ、意外に義理堅いっていうか、何だかんだで約束破れないタチなんだよね。
だから無断欠席とかは性に合わないってゆーか、何てゆーか。


……それに、さ。
あたしが教室に行くと、いつも準備して律儀に待っててくれて、


「おおっ、良く来たな江ノ島くん! 今日も一緒に頑張ろうではないか!」


とか、すごく嬉しそうに笑って言うんだもん。あいつ。
…あんなん見たら、サボるのがちょっと気の毒になってくるよ。


………はあ?
べ、別にあたしは、あいつが笑ってくれるのが嬉しいとか、何だかんだで補習はあいつに会えるから楽しみだとか、そんなんただのこれっっっぽっちも思ってないからね!?
…だ、誰があんな奴と好きこのんで絡むかよ!

だってあいつって、ああ見えて結構執念深そうだし。
サボりなんてしたら、後からネチネチくどくど言ってきそうだし。


ただ、それだけの事なんだって。
そう、本当に…それだけ。


はわぁーあ…。それにしても、今日も疲れちゃったなあ…。

朝早くから夕方までびっしり容赦なく行われる補習は、確実にあたしの負担になっていた。
やっぱりあたしには勉強なんて向かないみたい。

こんな日は、部屋に戻って早く休むに限るね。
さってと、そんじゃさっさと帰るとしますか!


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