ロング

その仮面を剥ぎ取るものは
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準備は整い、既に勝負は始まろうとしていた。

娯楽室の中央のテーブルを挟むようにセレスと石丸は向かい合い、座っている。
ちなみに彼らがこれから挑む種目は──。


「オセロ…ですか」


テーブルに置かれた盤面と、プラスチックの容器に入れられた白黒の石を見つめ、セレスが呟いた。

石丸が勝負に選んだのはオセロゲームだった。
これを選んだ理由は本人曰く「頭を使う娯楽が得意だから」との事だ。

セレスが黒の石で先攻、石丸が白の石で後攻。
こうして、二人の戦いが始まった。


「…ふふっ」
「…? 何がおかしいんだ?」


盤面に交互に石を打ちながら、セレスは静かに笑い声を漏らす。


「いえ…勝負にオセロを選ぶなんて、何だか石丸君らしいと思っただけですわ」
「そう…なのか?」
「白と黒。どちらかの石で相手の石を挟み込み、自分の色に変えていく…それだけの明瞭かつ単純なゲームですから。石丸君にはピッタリではありませんか」
「……君。それは誉めているのかね?」
「ふふ、もちろん。これ以上ない誉め言葉ですわ」


そんなやり取りを重ねつつも二人は勝負を続ける。
白の石が黒に変わり、かと思えばすかさず黒の石が白へと変わり──両者共一向に譲らない。
頭を使ったゲームは得意という言葉に嘘はなく、石丸のオセロの腕前はなかなかのようだ。


「うぅむ…。僕にはどうも、馬鹿にされているようにしか聞こえないのだが…」
「…まあ、酷い。石丸君には、わたくしがそのような皮肉を言うような人間に見えているのですか?」
「……。君は、皮肉しか言わないだろう」
「うふふっ。十神君ほどではありませんわ」
「僕にはどっちもどっちに見えるがな…」


何を言われようと顔色一つ変えないセレスに、セレスの言葉に逐一反応する石丸。
これだけでも二人の性格の違いを窺える。

さりげない言葉の積み重ねで相手に打撃を与える──これもセレスの作戦のうちだった。
明らかに子供じみていて下卑たやり方であったが、石丸のような愚直な人間にはこれが良く効くのだ。
勝負に手段など問わない。ましてや慈悲など必要ない。


「単純だからこそ、奥が深い。それがオセロの魅力であり、醍醐味かも知れませんわね」
「ふむ。オセロのキャッチコピーは『覚えるのに一分、極めるのに一生』というくらいだからな!」
「ええ。ですが…」
「…ん?」
「…残念です、石丸君。あなたはオセロのように奥深くもなければ、何の見所もない人間のようです」
「は…?」
「盤面をご覧なさいな。そうすればわたくしの言葉の意味が、お分かり頂けますわ?」
「え? ……!? こ、これは…ッ!!」
「うふふふっ。この勝負、あったようですわね」
「く…ぅっ! ぐぬぬぬう…!」


盤面の上は、いつの間にかほぼ全ての領域が黒の石で埋められている。
それは即ちセレスの勝利、石丸の敗北を意味していた。
もはや自分に勝ち目はないとばかりに、悔しげに歯を食い縛る石丸の表情がそれを物語っている。

やはり、無理だったか。
この男では退屈しのぎにすらならなかったか──セレスの胸の中には心地良い勝利の余韻よりも、不快な落胆の色の方が濃く表れていた。


「う゛っ…ぐうぅぅ…っ! も、もう一度、もう一度だけ勝負してくれないか!? い、今の僕はまだ本気を出してなかったんだ! あともう一度だけで良い! 頼むッ!!」
「……」


そう言って頭を下げる石丸を、セレスは無表情のまま見下ろしていた。
「もう一度だけ勝負してくれ」「まだ本気を出していなかった」──こんな言葉を何百回、何千回と聞いてきたセレスにとっては、うんざりな台詞だった。
往生際の悪い人間ほど無様で醜く、哀れなものはない。

しかし、それでも──セレスの形の良い唇は、どういう訳か次々と予想外な言葉ばかりを並べていくのだった。


「……。それでは、追加ルールを設けましょう」
「え……?」
「今日から一週間、石丸君にはわたくしと毎日オセロで対決をして頂きます。その一週間の間、たった一日でもあなたが勝てば、この勝負はあなたの勝利と見なしましょう。無論、あなたとの『約束』は果たしますわ」
「……」
「まあ今日の勝負は終わりましたから、厳密に言えばあと六日間ですが。…いかがです? 今のところ、石丸君に有利なルールですわよ?」
「………。分かった」


しばし考えた後、石丸はセレスの提案を呑み、顔を上げた。


「僕は君に勝ってみせるッ! 絶対に勝って、君の鼻を明かしてやろうではないかッ!!」
「……っ…」


顔を上げ、真っ直ぐに自分を見つめる石丸の表情は、闘志に満ち溢れていた。
自分のものとは違う天性のその赤い瞳は、炎の如く燃え盛っている。
先程まで負け惜しみを言っていた人間とはまるで別人のようだ。

そんな石丸の姿に、ほんの一瞬ではあったがセレスの表情が変化した。
彼女の持ち前のポーカーフェイスは、僅かながら崩れたのだ。


「ふふふ…。ご健闘を祈りますわ」
「ああ! 互いに正々堂々、力の限り最後まで戦おうではないか!」
「……」


正々堂々、力の限り──人を欺き騙すのが生業である彼女には、つくづく不相応な単語だ。
にも関わらずあえてそんな言葉を使うとは、大した度胸をしている。
それとも、ただ単に何も考えていないのか。文字通り馬鹿正直な男なのか。
とにかく、いずれにせよ──。


(あなたこそ、とんだ皮肉屋ですのね。…石丸君)


そう心の中で呟き、セレスは笑った。
この時、ほんの少しではあったが、セレスの中には石丸という人間への興味が生まれていた。


──思えば、この時点でセレスは気付くべきだったのだ。
自ら編み出したこの追加ルールは、結果的に己の首を締め、苦悩させてしまう事に。

そして、傷一つなかったはずのその頑なな『仮面』に、この瞬間亀裂が生じてしまっていた事に。


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