ロング

その仮面を剥ぎ取るものは
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希望ヶ峰学園の娯楽室。そこにセレスはいた。
革張りの大きな椅子に座り、いつものように一人静かにロイヤルミルクティーを味わっている。

動作の一つ一つが優雅かつ気品に溢れており、更に彼女の見目の良さも手伝ってか、その姿は中世ヨーロッパの上流貴族の生き写しのようにも見える。そして彼女自身もまた、それを内心自覚していた。
美しい世界を手に入れるなら、まずは自分が美しくなくては──その思いが揺るぎなく強いからこそ、セレスは己へ絶対的な自信を持てたのだ。


今セレスがいるこの娯楽室は、学園内でも一際異彩を放つ場所だった。
娯楽室の名の通り、ここにはチェスや麻雀等のボードゲーム類、ビリヤードやダーツ、スロット、更には様々なジャンルの雑誌が揃っており、ありとあらゆるエンターテイメントが詰め込まれた部屋であった。

そもそも学校にこのような一室があるのは普通ならば考えられない事なのだが、そこは膨大な資金を有している希望ヶ峰学園だからこそ為せる業、といったところだろうか。
ちなみにこの娯楽室設立は「超高校級の生徒達には超高校級の休息の場を与えなくては」という学園長たっての意向でもあった。

そんな学園長の発案が功を奏したのか、娯楽室には連日生徒達が押し寄せ、賑わう事となった。
日々勉学に励む生徒達にとって、ここはちょうど良い息抜きの場となっているようだ。

セレスはその中でも常連中の常連であった。
『超高校級のギャンブラー』である彼女にとって、ここはおあつらえ向きな場所でもある。いわば彼女の庭と言っても良いだろう。

セレスは学園内の生徒達とここにあるゲームで幾度となく交戦したが、彼女が負ける事は一度もなかった。
他の生徒達が弱いというより、セレスが強過ぎたのだ。

惜しむらくはここは学園であるが故、金品の賭けが禁じられていた事。
もしここが純粋な賭博場であったなら、セレスは彼らから大金を巻き上げ、膨大な資産を手に入れていただろう。
──それこそ、敗者達を絶望の淵へ叩き落とすくらいの。

そんな彼らとの対戦はセレスにとって非生産的と言うより他なかったが、彼らが負けた時に見せる反応は嫌いではなかった。
勝負に敗れ心から悔しがる者や、中には感極まって泣き出す者もいる。
彼らのそんな表情を見る度、セレスは言い様のない優越感と高揚感を覚え、自らのギャンブラーとしての力量に惚れ惚れするのだった。

──が、それもほんの一時の事。
彼女を心の髄まで充足させるには至らなかった。

カップの中身を全て飲み干し、上品な仕草で口元を拭うと、セレスはぽつりとこう呟く。


「退屈…ですわね…」


セレスはこの現状に決して満足していなかった。
何でも良い、何か刺激が欲しかったのだ。

一人勝ちばかりの、敵のいない戦場とはこれほどまでにつまらないものなのか。
セレスの潤んだ薄紅色の唇からは、思わずため息が漏れる。

いっその事この『仮面』に傷をつけてくれるような、そんな手強い猛者が現れてはくれないだろうか──刺激を求めるがあまり、いつしかセレスはそんな事を考えるようになっていた。
が、そんなセレスの密やかな願いも空しく、彼女の『仮面』は今日も傷一つなく妖しい光を放ち、美しく輝き続けている。

そんな折、娯楽室のドアが開いた。


「やあ、セレスくんではないか!」
「え…?」


部屋中に響かんばかりの大声に眉をひそませつつも、セレスは視線を移した。

開かれた扉の向こうにいたのは石丸清多夏──セレスと同じ希望ヶ峰学園の第78期生であり、クラスメイトの一人である。


「あら、石丸君ではありませんか。ごきげんよう」
「……あ、ああ」


上辺だけの笑顔を浮かべ挨拶するセレスに、石丸は少々渋い表情で頷く。
その後石丸は部屋の扉を閉め、セレスのいる方に向かって歩き寄って来た。


「またここにいたのか…。君は相変わらずこの場所が好きなようだな」
「そうおっしゃる石丸君こそ、ここに来るのは珍しいのではないですか? あなたはこの場所がお嫌いでしょうに…」
「もちろんだ! このような場所、我々学生には必要ないッ! そして…」
「?」
「このような不健全な場所には、君のように風紀を乱す輩が必ず湧いて出るッ! 実に嘆かわしいッ! 僕が今日この場所へ馳せ参じたのも、君のような者を取り締まるためだ!」
「まあ、それはそれは…。ご苦労な事ですわね」


いつものように唾を飛ばしそうな勢いでそう熱弁してくる石丸に、セレスは労いの言葉を返す。
が、そう言ったセレスの胸中は冷え切っており、その口調には何の感情も込められてはいなかった。


現にセレスは石丸の事を快く思っていなかった。
もしかすると同期生の中では一番苦手な存在かもしれないとすら感じていた。

いつも馬鹿がつくほど正直で生真面目。やたら自己主張が激しく、他人の領域に無遠慮に土足で踏み込んでくる存在──それが石丸に対する印象だった。
何もかも明らかに自分とは正反対の、厄介な人間。
だからこそ関わり合いになりたくなかった。

早くここから出て行ってくれないだろうか──そんなセレスの心中とは裏腹に、尚も石丸は娯楽室に留まっていた。


「それに、セレスくん…」
「…何か?」
「君は一体いつになったら、ちゃんと希望ヶ峰の制服を着てくれるんだ? その華美過ぎる服装は校則違反だぞ! 健全な学園生活は、まずは健全な身だしなみから始まるのだ!」
「はあ…」
「な、何だねその気の抜けたような返事はッ!? ぐ…ッ、うぐぐぅぅ…っ。な、何故君は、分かってくれないんだ…!?」
「……」


妙に青ざめた顔でさめざめと泣き出した石丸に、セレスは冷ややかな眼差しを向けていた。
鬱陶しい──今のセレスの心境を簡潔に述べるなら、まさにその一言に尽きるだろう。

が、それにも関わらず。
次の瞬間、セレスの口からは信じられない言葉が飛び出していたのだった。


「ふう……。仕方ありませんわね」
「…?」
「石丸君。ここはひとつ、わたくしと勝負をしませんか?」
「し、勝負…だと…!?」


怪訝そうな表情を浮かべる石丸に、セレスは尚も言葉を次ぐ。


「ふふ、ご心配なく。勝負と言っても、金目の物が目当てではありませんわ。ただちょっとした『約束』をするだけですから」
「『約束』…? い、一体何だね? それは?」
「これからあなたとわたくしが勝負をし、もしわたくしが勝ったら、わたくしは今まで通りわたくしのやりたいようにさせて頂きます。そして、反対に…」
「……」
「もしあなたがわたくしに勝ったなら…わたくしはこの格好を止め、あなたのおっしゃるような所謂『健全な身だしなみ』へと戻しますわ。いかがです? それなら、文句はないでしょう?」
「……ッ!! なん…だと…?」


彼女の言葉に驚いたのは石丸だけではない。そんな発言をしたセレス自身もだ。
何故、突然そんな事を言ってしまったのだろう──自分でも良く分からなかった。

恐らく退屈しのぎのほんの戯れ、はたまた単なる気まぐれだったのかもしれない。
もっとも、彼がそれに値する人間かどうかは別の話だが。


「セレスくん。それは本当か? …僕が勝てば、君はその服装を改めてくれる、のか?」
「もちろん。わたくし、これでも約束は守る人間ですのよ?」
「そうか……。承知した」


そう言って石丸は頷くと、右手の人差し指をセレスにピンと向け、毅然とした眼差しで彼女を見据えた。


「良いだろう! その勝負、受けて立とうではないかッ!!」
「そうですか。うふふふ…これで商談成立、ですわね」


外観では淑やかな態度を取るセレスだったが、心の底ではニヤリとほくそ笑んでいた。
こんなに分かりやすい罠に自ら嵌まってしまうとは、なんて愚かで単純な男なのだろうか──石丸の言動はもはや哀れを通り越し、滑稽にすら感じられた。


「あとそれから、もう一つルールを提示致しますわね」
「…もう一つの、ルール?」
「何のゲームで勝負するかは、石丸君…あなたがお決めになって下さい。ここにあるモノであれば、ジャンルは問いません。わたくしとて冷血ではありませんから、それくらいのハンデは差し上げましょう」
「…わ、分かった。何でも…良いんだな?」
「ええ、もちろんですわ」
「う…ううむ……」


娯楽室の中のきょろきょろと見回す石丸を、セレスはじっと見つめていた。その表情に余裕の二文字を浮かべて。

この時点で、セレスは自らの負けを微塵も考えてはいなかった。
それも無理はない。これまで何十、何百人もの生徒を相手にし、負けた事など一度もなかったのだから。

彼女の無敗神話はこれからも引き続き語り継がれていくだろう──。誰もがそう信じて疑わなかった。
彼女の有り余る絶対の自信は、無意識に言葉や動作のそこかしこに滲み出ていたのだった。

──そして、数分後。
慌ただしく動いていた石丸の目線は、ある一点に集中した。


「では……あれを」
「……。ふふっ、了解ですわ」


石丸の指差す方向を見やると、セレスはいつものように穏やかな微笑みを湛え、静かに頷いた。

こうしてセレスの悪戯心から始まった勝負は、火蓋が切られるのだった──。


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