ロング

笑って、笑って。
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──私は今、戦場に身を潜めていた。

呼吸を止め、意識を殺し、『奴』に私の気配を気づかせないように。
ここでは己の肉体と、この身に染みつかせた能力だけが頼りだ。

戦場の中では、言葉なんて何の意味も持たない。
口が達者で偉そうな口振りの奴ほどいざ実戦では感情的になり怖じ気づき、容易く命を落としてしまうのだから。


私はじっと息を潜め、『奴』の追跡から逃れようとしていた。

『奴』は確かに私の近くにいる。
だから私は、ここでこうして『奴』の気配が完全に消えるのを待っていた。

ただ闇雲に真っ向から敵に立ち向かう事だけが戦いじゃない。
体力消費を避け、こうして無駄な戦闘をあえて回避するのも立派な戦いなのだ。それは決して『逃げ』なんかじゃない。


「…にを…、て…いる?」


微かに、『奴』の声がする。

──ここは耐えなければ。
耐えて、耐え抜いて、今日は絶対に勝たなければ。
負けられないんだ。

それは『超高校級の軍人』である私にとって、譲れないたった一つの願い。そしてプライドでもある。

その強い想いを人知れず胸に秘め、私は腕にぐっと力を込めた。


「おい! ……いているのか?」


……まずい! 気づかれたか!?

今私が腕に足に力を入れた事で、わずかながら衝撃が発してしまったのだ。
戦場ではこんな微かな物音すら命取りになる。

クッ、私とした事が…!


「君! …きた…え! え……しま…ん!!」


『奴』の声が次第に近づいてくる。
その距離、約2.5メートル。


「おいっ! …い加減に…ないかッ!! 今は……中だぞ!」


『奴』の叫び声は、確実に私を仕留めようとしている。
その距離、約1メートル。

ヤバい、このままじゃまたしても『奴』に…!
だけど、もう……。


「…きろと言…だろう! 君は自分…置かれている状況……かっているのか!?」


私がこうしている間にも、『奴』はじりじりと距離を縮めてくる。
その距離、約50センチ。

ああ、ダメだ…。
もう、身体…が、言うことを…きかない…。


「江ノ島くん! …起きたまえ、江ノ島くん!」


『奴』は、遂に私を射程圏内に捕らえた。
その距離、わずか30センチ。

だが、それでも私は、身動きが取れずにいた。
鉛の弾でもつけられたかのように、私のまぶたは強制的に閉じられていく。

あ、ああ…っ。もう、限界、だ…。


──こうして私は、今日も負けたのだ。『奴』との戦いに。
結局、今日も勝てなかった。完敗だった。

軍人らしく潔く自らの負けを認めた私の身体は、そのまま前のめりに倒れ込んでいく。


そして私の意識が完全に遠のきそうになる、その時だった。


「起きろと言っているのが分からないのか!? …おい! 江ノ島くんッ!!」
「……ッ!?」


前方10センチ先にて、何かを叩きつけるような打撃音を確認。
その音に、私の身体はビクリと反応する。

これは…机を叩く音…?


「君という奴はいつもいつも居眠りばかり…! ここで教鞭を執っている僕の事も、少しは考えてもらいたいものだな!」


上方20センチ先で『奴』の声がする。
その声はいつも以上にやたら大きく暑苦しく、そして興奮気味で、正直鬱陶しい。


「……はぁ…?」


私が虚ろな表情で顔を上げると、『奴』が怒りの形相で私を凝視しているのが見えた。

……ああ。これこそまさしく袋のネズミ状態だ。逃げも隠れも出来ない。
これを『地獄』と言わずに一体何と言うのだろう。


──私は今、戦場に身を置いていた。
『補習』という名の、勝率0パーセントの過酷な戦場に……。


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