ロング
□ずっと、この痛みを
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──とある日の早朝。
俺はいつものように牧場にて、『儀式』を執り行っていた。
「………」
瞳を閉じ心を鎮め、体内のありとあらゆる神経を研ぎ澄ませ──それらの全てを、我が手に握られたバケツに集中させる。
バケツの中では、溢れんばかりに注がれた水がゆらゆらと揺らぎ、『儀式』の時を刻一刻と待ち構えているかのようだ。
そして──。
「…ハアアアアアッ!!」
俺は手に持っていたバケツを一思いにひっくり返した。
バケツから勢い良く翔び出した水はほぼ一直線に軌道を描き、下に置いてある牛達の飲み水専用のポリ容器へと流れ落ちていく。
「……ッ!」
『あ、ああ…!』
『う、うう…っ』
……さあ、ここからだ。
これからが『儀式』の本番だ。
この『儀式』の成否は、ここにいる牛達全て──そして、俺自身の命運を左右すると言っても過言では無い。
自然と場の空気も静寂を増し、張りつめたものへと変化していく。
俺の傍らでは白銀の騎士こと婆紗螺(ばさら)を始め、そこにいる全ての牛達が固唾を飲み、緊迫した表情で事の成り行きを見つめていた。
「……来る…、来ない、来る…」
逆さまに返したバケツの底からポタリ、ポタリ…と零れ落ちてきた雫の音に合わせ、俺は呟いた。
「…来ない、来る、来ない…。来る、……来ない」
そこで水滴の音は止んだ。
─それは即ち、儀式の終わりをも意味していた。
「………」
『が、眼蛇夢殿…。まさか、儀式は…』
「……ああ。失敗だ」
婆紗螺の問いに俺がそう答えると、牛達は一様に肩を落とし、消沈した様子を見せた。
『はあ…またか…。今日もまた来ないのかよ…』
『ちくしょう! 俺もうガマンできねえっ! 今すぐこんなトコ出てって、部屋まで会いにいってやんよ!』
『お、落ち着くのだ皆の者! 確かにあの方に会えないのは、私とて辛い…。牛だけに胸がギュウギュウと締め付けられるほど心苦しい! だが、眼蛇夢殿の“聖なる器より儚く滴り落ちしたゆたう水の儀”は絶対だ。だからこそ、我々は真実を受け止めなければならないのだ…!』
「…そういう事だ。流石は白銀の騎士の名を持つ者…聡明だな」
……そう。
俺の手で行われる『聖なる器より儚く滴り落ちしたゆたう水の儀』、略して『聖水の儀』はこれまで1度も結果を違えた事がない。
つまり、儀式が成功した時は彼女はここに『来る』。
そして…失敗だった時は、彼女はここには『来ない』のだ。
(……やはり…今日も来ないのか…)
その結果には牛達だけではなく、俺も密かに落胆していた。