FRAGMENT
□夫婦としての試練
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あの事件から数日が過ぎ、ようやくどうにか動けるまでに回復したが、右腕が思うように動かなくなっていた。
ヒノエは何も心配することはないと言って、ずーと私の側でお世話をしてくれている。
ヌクも昨日から私の隣で、安静をしていた。
ヌクが生きていて本当に良かった。
こんなこと言うのはおかしいけれど、また前のように一緒にいられるのか嬉しい。
私ってするいな。
櫻子見たく沢山の人を不幸にしているのに、私はこんなに毎日が幸せで、熊野の人達もこんな私に優しくしてくれる。
今だって毎日いろんな人が、お見舞いに来て励ましてくれた。
昔の私を知っても今の私を見てくれて、それで良いとみんな言う。
だから私は幸せだ。
「あ、そうだ。ヒノエに渡したい物があったんだ」
「オレに?嬉しいね」
ヒノエの顔はたちまち笑顔に変わり、私は引き出しに締まっていた匂い袋を出そうと努力する。
左を使えば簡単だけど、右が早く元通りに使えるようになりたかったから努力している。
これ以上ヒノエに迷惑を掛けたくないし、ちゃんとした料理を作って早く食べてもらいたい。
そのためだったら私は、どんな努力も怠らずに頑張る。
そして引き出しをゆっくり開け、一つの匂い袋をやっとの事で取り出した。
たったこれだけのことでも一苦労だ。
もっと頑張れば弛緩がかかるかも知れないけど、きっと元通りに戻るよね。
「はい、これ私がヒノエのために作った匂い袋。気に入るかは分からないけど」
「梓が作った物なら、なんだってオレは好きだよ」
そう言って嬉しそうに匂い袋を受け取り、匂いをすぐに嗅いでくれた。
料理の時もそう言って酷い目にあったのに、まだそんな風に言ってくれるんだね。
だけどこの匂い袋はちゃんと匂いを嗅いで悪くないと思ったから上げることにした。
「梓の匂いがする。肌身離さず持ち歩くからな」
「うん。だったら今度はヒノエが作ってくれる?」
あの匂いが私の匂いなら、ヒノエが作ったのはヒノエの匂いがするかも知れない。
ヒノエの匂いは太陽のように優しい匂いだから、私大好きだから私も肌身離さず持ち歩きたいな。
「お安いご用だよ。なら道具を持って来るから、ちょっとだけ待っててくれよ」
「分かった」
と私が返事をするとヒノエは部屋を後にし、私と寝ているヌクだけになった。
その時だった。
「本当にあなたってば幸せなのね」
突然上から声が聞こえ、誰かが下に降りてくる。
私はその人を見た瞬間、身体が固まり血の気が引く。
「………櫻子………」
「やっぱりあなたの一番大切な人は、あのヒノエとか言う旦那さん見たいね」
怒りと憎しみが溢れている。
それは全部私のせい。
「……………」
櫻子はまたヒノエを殺そうとしているんだ。
そんなの絶対イヤだけど、私では櫻子にはまったく歯が立たない。
でも。
「お願い。ヒノエだけは殺さないで」
駄目だと言われるのは百も承知だけど、そう言わずにはいられなかった。
「ええ殺さないわ。それよりもっと残酷なことを思いついたから」
「残酷?」
ヒノエが殺されることより残酷なことはない。
そしてヒノエが戻ってきて戸が開くのと同時に、櫻子はまた呪文を唱えあの時のように不気味に笑った。
一体何の呪文?
「オレの愛しい櫻子。あいつは一体誰なんだい?」
「え………」
飛んでもない言葉に私は耳を疑る。
私をゴミのように見る冷たい瞳。
「さぁね知らない」
と櫻子が言い、なぜかヒノエと櫻子は抱き合い口づけをする。
なんで?
途端に胸が痛くなり、涙が溢れ出す。
「ヒノエ?」
「なんだよ、お前。一体どこから入ってきた?」
「どこからって、私はヒノエの奥さんでしょう?」
「は?何を言っているんだ。オレの愛しい奥さんは櫻子だけだぜ」
良く私に言っていた台詞。
「嘘…………」
「嘘じゃないよ。誰だか知らないが、とっととこの家からでないと捕らえるぞ」
本気でヒノエは言っている。
ヒノエが私を忘れた?
「ウゥゥ………」
いつの間にかヌクも私を威嚇し、腕を思いっ切り咬み千切られる。
血があふれ出し激痛が襲うが、それ以上に心が痛い。
ヌクも私のことを忘れたんだ。
これ以上ここにいたら駄目だと思い、私は逃げるように家から立ち去った。