FRAGMENT

□5章 彷徨い続ける天秤
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梓を救い出し意識をとり戻さないまま数日が経ち、オレ達は源氏に追われ熊野に向かっていた。


「ヒノエ君、少しは食事しないと身が持たないよ」

いつものように食事を持って来た望美に、例のごとく置いといてくれと言った矢先のことだった。

「梓が起きたら、一緒に食べるから心配するな」
「それ二日前から言ってるじゃない?梓ちゃんのためにも食べないと駄目だよ」

望美の顔が少し怒りそう言った後、オレの腕の中で眠っている梓を眺めた。
オレがこうすると、かすかに梓の表情が和らぐ気がする。

蚊の鳴くような息の根と鼓動。
弁慶からは最悪の事態を覚悟しろ言われているが、そんなの出来るはずがない。
だって梓は今もこうして生きている。

「梓のために?」
「うん。だって梓ちゃんが目を覚ました時に、いつものヒノエ君じゃなかったら悲しむと思うんだ。だからヌクも食べないと駄目だよ。二人とも梓ちゃんのこと好きなんでしょう?」
「・・・そうだな。分かった食べるよ」

望美の言っていることは正しかった。

梓はオレの少しの異変にすぐ気づき心配する。
まぁそれはオレも同じなんだけどな。
ヌクもオレと同じことを思ったらしく、ゆっくりと差し出された餌を食べ始める。
こいつは本当に主思いで賢い。
人間の言葉が分かるのか、特に教えなくても出来てしまう。
そして一番梓のことを知っている。
間違えなく、オレの一番の恋敵だ。

「ねぇ、試しに・・・キスしてみたらどうかな?」

何を思ったのか望美は、彼女らしからぬ言葉を口にする。

「え?」

あまりのことに驚き望美を見つめてしまう。

「私達の世界のおとぎ話に、眠り続けているお姫様を王子様の口付けで起こす。って話があるの。だからもしかすると・・・」

頬を少しあかくそめていたが優しく理由を答える。
発想はいかにも望美らしい。

「試してみる価値はありそうだな。それでどんな口付けをすればいいんだい?」

わざと望美に尋ねると、望みの顔に火が付き口ごもった。
オレが今そんなことを言うとは思っていなかっただろう。

不意打ちを付くと言うことは、まったく面白い。
何を想像したのかはあえて聞かないが、大体の想像がつく。

「冗談だよ。普通でいいんだろう?」

思わず笑ってしまった。

今度梓にもやってみようか。

「もう!!・・・でもヒノエ君らしい」

一瞬怒られそうになったが、望美もそう言って少しだけ笑った。

オレらしいか。

「ありがとうな。それじゃぁ試してみるか」
「うん」
「梓、頼む起きてくれ」

祈るような気持ちで望美とヌクが見守る中、オレは梓に近づきそっと唇を重なり合わせる。

やっぱり梓の唇は柔らかくって、おいしいや。
出来ることなら、いつまでもこうしてたい。
口づけで死ねたら、本望だね。


そして
梓はゆっくりと目覚める。




「・・・ヒノエ?」
「そうだよ」

梓の瞳にオレが映り、最初にオレの名を呼ぶ。
だが、

「知盛は?」

別の名前も呼び起き上がって、辺りを懸命に見回したのだ。

反吐が出るほど屈辱。

「そんな奴死んだよ」
「じゃぁ私だけ助かったの?」
「ご名答」
「なんでそんなことしたの?私はもう知盛の物なんだよ」

冗談にも取りたくない台詞を発しながら、梓は涙を流しオレを睨みつける。
梓の涙は宝石のようにキラキラして綺麗だったが、それはオレのための涙ではない。
とにかく絶望だった。

「・・・ならオレのことは?」
「ヒノエはなんでも・・・ない」

一瞬の沈黙の後、何かを堪えながら首を強く横に振る。

一体何がどうなっているんだろうか?
梓はオレのことが好きなんじゃないのか?
だから平家の仲間に。
それともあの日のことは、すべてオレの夢幻・・・。

「なんでもない?オレは梓を愛してるよ」

そう言ってオレは強引に再び梓の唇を奪った。
しかし

「イヤ〜。私に触れないで」

初めて梓がオレを拒み、力の限りオレをひっかいた。
梓の顔は涙を更に浮かべ、怯えていた。

オレが一番弱い姿。

「梓ちゃん?」
「私はヒノエのこと大嫌い」

力の限り梓は叫ぶ。

ヒノエのこと大嫌い。
これは現実なのか?

「じょ冗談だろう?」
「本当だよ。私の好きなのは知盛だけ」

聞いた瞬間、今まで味わったことのない絶望の暗闇がオレを襲う。


・・・梓の心にはもうオレはいない。


悲劇は再び始まろうとしている。




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