遙かなる異世界で

□本編前
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「姫さんにとっておきの情報を教えましょう」
「とっておきの情報?」

 我が家に訪れた父様御用達の商人が持ってきた海外の品物を目移りしながら品定めをしていると、商人からそんな耳打ちをされ気になり首をかしげる。

 商人がとっておきの情報と言うならば、それは間違えなく特ダネ。

「はい。私が住んでいる熊野では2月14日に女性が最愛の殿方や家族に手作り菓子を渡す風習があるんですよ」
「え、それって……バレンタイン……?」

 戦国時代にあるはずもないイベントに、目が点になり呆気に取られて頭が混乱する。

 実はバレンタインって古くからあるイベントだったりする?
 それとも熊野は外国と貿易をしている……え熊野?
 熊野って確か

「その風習って龍神の神子が起源だったりするの?」
「ええ。姫さんは博識ですね? そんな博識の姫におまけにこれをさしあげます。カカオの粉末と砂糖を混ぜた物で外国ではこれを牛乳に入れ飲むんですよ。チョコラトルと言います」
「へぇーそうなんだ。ありがとうお兄さん」

 予想は的中で商人に誉められ茶色の粉の入った小瓶を貰う。

 これがこの時代のチョコレート。
 ココアみたいな飲み物なのかな?

 それにしても熊野の龍神の神子は異世界人だったと言う伝承は本当らしく、私の前世と同じ世界から来た可能性がこれで高くなった。
 となるとなおと私は実は……そんなはずないか。

「どういたしまして。それで姫さんは父上にお作りになられるんですか?」
「うん。でも飲み物よりかお菓子を作りたいかな?」
「でしたら熊野名物チョコどら焼の作り方を書いた紙もお付けいたしましょ」
「本当に? ならなおと作ろう」
「頑張って下さい」

 商人は太っ腹でおまけのおまけまでくれ気分を良くなり、饅頭を入れるきれいな箱も追加で購入。
 もちろん会計はすべて父様である。




 そしてバレンタイン当日。
 朝から厨房で私達が赤ん坊の時から面倒を見てもらっている乳母と言うか女中の玉江さんに手伝ってもらいなんとか出来上がったチョコどら焼き達をなおと一緒になって満足げに眺めていた。
 玉江さんがいなかったらどうなっていたことか。
 これを気に明日から料理の勉強もしないとね。

「美味しそうな匂いだね。チョコどら焼きってどんな味なんだろうね?」
「じゃぁ味見をしてみようか?」
「え、いいの?」

 幼いながらバレンタインを理解しているのか自分で食べたいとは言わずでも食べたそうにしている可愛いなおに、私はそう言って不格好なチョコどら焼きを一つ取り半分に分けなおに渡す。
 するとなおはハムスターのように愛らしくむしゃむしゃと食べ始め、私もそれを愛でながら試食する。
 チョコどら焼きと言ってもあんこにカカオの粉末を練り込んだ物だから、私が知っているチョコどら焼きとはほど遠くまったく違うお菓子と思った方が良い。

  チョコレートもポテチもケーキも二度と食べられないんだね。
  なおと三ちゃんにも食べさせたかったな。
 
「八重、とってもおいしいね」
「そうだね」

 戦国時代しか知らないなおにとっては絶品のようで、これなら父様達にも喜んでもらえるはず。

「みんな喜んでくれるかな?」
「当たり前でしょ? なんせ私達の手作り菓子なんだからね?」
「そうですよ。なお姫様と八重姫様が一生懸命作った物なのですから、信長様は特にお喜びになられますよ。でもまずは三法師様に渡して下さい。二人に仲間はずれにされたと思って、落ち込んでいるそうです」
「!! 分かったすぐ持って行く」

 美味しいお菓子を作れてハッピーな気分が一瞬にして奈落の底まで突き落とされ、商人から買った綺麗な箱に急いでチョコどら焼きを入れ包む。

 三ちゃん、今すぐに行くからね。

「なお、光慶様に渡すのは自分で包みなさい。もうすぐ来るんでしょ?」
「うん。八重は松寿丸様に渡すんでしょ?」
「今日は来ないから、配達してもらうの。じゃぁ私は三ちゃんに渡してくるから、父様と兄様には後で一緒に渡そう」
「そうだね」

 と言い私は松寿丸様と三ちゃんの分を持って厨房を後にする。


 三ちゃんの所に行く途中運の良く蘭丸を見つけたので、昨夜書いた文と一緒に急いで松寿丸様に届けてとお願いをした。
 父様に忠実な蘭丸で私達にも良くしてくれて、今も詳しい理由も聞かず二つ返事してくれるとってもいい人だ。




 三ちゃんは縁側の端に座り一人淋しくまりつきで遊んでいた。  

こんなことならちゃんと理由を話していれば、三ちゃんはこんな傷つかなくてすんだ。 つまりこうなったのはすべて私のせい。
 でもバレンタインを直接私から教えるのは恥ずかしいし、かと言って一緒に作るのはおかしい。 




「三ちゃん、淋しい思いをさせてごめんなさい」
「………八重姉上」
「あのね三ちゃん、今日はバレンタインって言ってね女の人が好きな男性に甘い手作りお菓子を渡す日なんだって。だからこれは私となおから。大好きな三ちゃん、これからも仲良くしようね?」

 三ちゃんをギュッと抱きしめた後理由を話し箱を渡すと、三ちゃんは突然の出来事にきょとんとして私を見上げなぜだろう堪えていた涙がどっと溢れ出す。

 な何? 私完全に三ちゃんに嫌われた?

「僕も八重姉上が大好きです。だから仲間はずれにされるのはイヤだ!!」
「本当にごめんね。お詫びにこれから寝るまで三ちゃんの好きなことをして遊ぼう」

 どうやらまだ間に合ってくれて、ホッとする。

 三ちゃんは聞き分けの良くいつも大人びている子だから忘れがちだけど、本当なら甘えてわがままを言うのが当然の幼児なんだよね。
 これからはそのことをちゃんと心得て、もうこんな愚かな過ちを繰り返さないようにしよう。
 もちろん、なおも。

「ならまずはこのお菓子は今食べてもよろしいですか?」
「もちろん」

 包みを綺麗に開けた三ちゃんにそう問われ二つ返事で答えると、大きく口を開けパクリと食べた瞬間目の色を変えほっぺが落ちそうな笑みを浮かべる。
 パクパク美味しそうに食べる三ちゃんだったけれど

「八重姉上、口を開けて下さい」
「え、あ〜ん」

 いきなり言われ反射的に口を開けると、食べかけのチョコどら焼きを食べさせてくれる。

「美味しいですか?」
「うん、とっても」

 試食した時よりも何億倍も美味しく感じるのは、三ちゃんが食べさせてくれたから。

 これはなんと言う幸せな時間なんだろうか?
 私今死んでもきっと未練なんかない。



 その夜父様と兄様にもチョコどら焼きは高評価で、ひょっとしたら来年のバレンタインは全国規模になるかも知れません。



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