短夢堂U

□Raindrops Keep Fallin' On My Head
1ページ/1ページ


頭のてっぺんに、冷たい一滴が落ちた。


空を見上げれば、黒くて重たい雨雲が覆っている。


一滴だけ弾けたはずの雨粒は、みるみる増えて、あっという間に本降りになった。


舌打ちをして自宅近くのコンビニに駆け込む。


こんな日は「雨に濡れても」なんて古い歌でも歌いたい。


特別にご機嫌ってワケでもないが。


”もうすぐ幸せが僕に会いに来るはず”


なんて憎たらしい事を平気で歌ってるくらいなら、さっさと幸せを持って来いってもんだ。


冷房の利いた店内に入って、タバコと酒と適当なツマミを買い込んで出ると、一歩遅かったのか、雨はさっきよりも強い音を立ててアスファルトに弾けるのが聞えた。


見る見るうちに灰色だったコンクリートが、暗い灰色に変わっていく様を呆然と見つめる。


…まったく。


ちょっと毒づいただけで、この仕打ちかよ。


傘、買うか。


いやすぐそこだしな、止むまでとはいかなくても、雨脚が弱るまで待つか。


そんな逡巡をしていると、隣に誰かが立つ気配を感じた。


ふわっと漂ってくる女物の優しい香水の香りに何となく横を見ると、そこには思いもかけない人物が立っていた。


「先生?」


隣の女と目が合う。


「…御堂」


御堂沙也加。


一年前に卒業した教え子。


転入した頃から数えれば、二年間受け持ったたった一人の女子生徒で…


密かに想っていた女だった。


コンビニの軒下。


バチバチと弾ける雨音がうるさい。


…コイツが幸せだってか。


唐突過ぎた再会。


ちらっと毒づいただけで、こんなご褒美をくれるなんて、神様ってやつは粋な事をしてくれる。


思わず喉の奥で笑うと、何を思ったのか御堂も嬉しそうに笑いかけてきた。


「偶然ですね」


「お前、何してんだ。こんなトコで」


もっと気の利いた言葉が出てきてもいいのに、相変わらず憎まれ口のようなつっけんどんな言い方しかできないのは、性分だ。


それでも、御堂はへへへなんて笑いながら首を傾げて俺を見上げてくる。


「寮に行ってたんです。久しぶりに」


「何の用があったんだよ」


「梅さんとガールズトーク?」


「…マジかよ」


思わず漏れた呻きに、御堂が可笑しそうに噴き出す。


「その言い方、変わってないですね」


「お前らが卒業してたった一年だろ。そうそう変わってたまるか」


わざとうんざりしたように言いながら、空を見上げる。


降り始めたばかりの雨だ。


そうそう止みそうにない。


チラッと隣を見れば、御堂も同じように空を見上げていた。


変わってたまるかと言ったけど、御堂は大きく変わった。


四年制大学に進学した御堂は、あの頃よりもずっと大人っぽくなった。


仕草が、表情が、少しずつ違う。


可愛かった面影は残っている。


でも化粧を薄らとのせた肌や、格好が、逢わなかった一年間という時間を明確に教えてくれた。


羽化を遂げたばかりの蝶のように…淡い光を放っているのと同じに


御堂は綺麗になっていた。


…それも、そうか。


綺麗になっていない方がどうかしてる。


あの男と付き合ってれば、自然とそうなるだろ。


「榊は、元気か」


空を見上げていた横顔が、少しだけ曇った。


一瞬だけ見せた儚げな表情に、胸がドキリと跳ね上がる。


ゆっくりとこっちを振り返った御堂は、それでも笑っていた。


わざと作った情けない顔で。


「ふられちゃいました」


「は?」


「ほら、卒業と同時にデビューしたの…覚えてますか?」


榊は、音楽の才能を認められて、早くからレコード会社やらプロダクションと契約を結んでいた。


ただ、学校側としては芸能活動は禁止しているので、本格的なデビューはならなかったのだが、卒業と同時にデビューすると言う事で折り合いはついたのだった。


そんな事を思い出しながら頷くと、御堂は小さく笑う。


「最初はよかったんですけどね。…やっぱり、女の子たちが放っておけないみたいで」


「…浮気されたのか」


「早い話がそうなんですけど…」


それでも、慣れない学校生活とアルバイト、学科の課題に追われて、榊との時間を取れなかった自分にも責任はあるから。


御堂はそう言って「お互い様ですよね」と情けなさそうに笑う。


雨はまだやみそうにない。


コンビニのガラス窓に背中を預けて「そうか」なんて言う自分の声が、妙に気が抜けているのに気付いて、一人笑いをかみ殺す。


そんな俺を見上げていた御堂は、不思議そうに首を傾げた。


「先生?」


「あ?」


「どうかしたんですか?」


「別に。じゃあ、今、オトコはいねぇのか」


「…はい」


そのことで俺が何か言うとでも思ったのか、御堂は歯切れ悪く頷いて見せた。


ふと御堂の手元を見れば、一本の傘が握られている。


「…お前、雨宿りじゃなかったのか」


俺の目線に気づいた御堂が、恥ずかしそうに笑う。


「いいえ。…先生に似てる人がいるなって思ってたら、自然に隣に立ってました」


「…」


まったく…


無意識にコレをやられるから困る。


御堂の在学中、なんどこういう…心を掴まれるコトを言われたか。


「時間あるか?」


「え?はい…」


不思議そうな御堂の手から傘を取り上げて広げる。


鮮やかなコバルトブルーが広がった。


「折角だから、ウチに来い」


やっと回ってきた俺の幸せだ。


丁重にもてなしてやるよ。


ついでに、もう雨空に毒づいたりしない事も約束してやる。


御堂の細い肩を抱き寄せて、鼻歌を歌う。




Raindrops Keep Fallin' On My Head…







おわり
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ