膠原病と難病の私。

□4階4人部屋の恐怖。
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入院して手術が済み、4人部屋へ更迭された私は『他人』と『同じ』部屋と言うストレスに悩んだ。
眠れずに睡眠薬が増えた。点滴生活が続き毎日消灯時間ギリギリに髪をお母さんに洗って貰う日々。
点滴が取れても、男性(と言ってもお年寄り)の部屋が目の前にあって、消灯時間過ぎても大声で談笑する爺さんに苛々した。でもこれはまだマシでした。

ある日、2人部屋からポータブル患者が移ってきた。私の目の前のベッド。カーテンで隠そうにも窓ガラスにトイレしてる姿が写る。他人のそんな姿初めて見た私はその日から敏感になり、同室の患者さんに気を悩ます様になり、遂には限界を迎えた。

それは、当直の看護婦さんから始まった。
消灯時間、になっても睡眠薬をくれない。おかしい。私はテレパシーでも飛ばないかと思う位願ったが、看護婦さんの
「電気消しまーす」
で、アッサリ遮断…。
仕方なくナースコールで睡眠薬を要求しようとしたら、何でナースコール押すの的な目で見られた。
取り敢えず睡眠薬は貰えた。でも微熱に魘されて、ナースコールで熱を計って貰った…体温計を渡されて、看護婦さんは私の事を忘れて放置。私戸惑う。
仕方なくナースコールで体温計返す。もう寝れない私は、4人部屋の落とし穴に落ちる。
糖尿病と痴呆患者の呻き声に私はパニックになる。
しかも看護婦さんが巡回してる時は何も言わないのに、看護婦さんがいないと
「看護婦さ〜ん。○○ちゃ〜ん。オシメ変えて〜」
と言う声に、ナースコールを押しては私が、
「○○さん、オシメ変えて欲しいそうです」
と言う。何回か繰り返すと私はもう限界に。病室を飛び出て泣きながら自宅に電話しました。
愚痴をお母さんにメールしていましたが、お母さん寝てしまい返信がないと我慢出来なくなり遂には泣けてきてしまいました。
階段の暗い踊場で、嗚咽しながらお父さんに電話すると私の声を聞いた別の看護婦さんがソファーに連れてってくれて両親が来るまで励ましてくれました。
そして入院して、初めて家に帰りました。久しぶりの家に爆睡した私は久しぶりの家のお風呂にストレスがサーッと引くのが解りました。本当に辛い夜でした。そんな周りに溶け込めない私に先生は、4階から2階へ病室を変えてくれました。2階は内科と産婦人科。必然的に女性だけの階に、私はかなり気持ち的に楽になりました。
入院するので一番辛いのは同室の患者さんです。
そんな4階でした。

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