膠原病と難病の私。

□病名、入院スタート。
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隣街の市民病院へ行った。お母さんに付き添ってもらい、紹介状を持って、車を走った。手は相変わらず痛くて、もう気がおかしくなりそうな位、追い込まれていた。

血液内科の先生は、採血とレントゲンを見てすぐに言った。
「これは膠原病です。全身性エリテマトーデスと言う血の病気です。血の数値が最悪です。立っているのが不思議な位です。即入院が必要です。部屋は空いてるから入院日決めましょう」
お母さんと私は目が点になった。えぇ!?入院…?そんなに悪いんですか?と聞くと先生は、
「普通10位の免疫力値が0で最悪です。抗体も80位の値100以上あって危険」
と言われた。
そして入院日を決めて、その日は入院手続きをして帰った。お母さんは悲しそうな顔をしていて、悪い事してしまったと自己嫌悪した。お母さんは逆に、健康な子に産んであげられなくてごめんねと言った。私はそんなお母さんに、やっと気付いた。すぐ側に、私を思ってくれる人が居る。病気になって解った。お母さんが仕事を休んで病院に付き添ってくれたのは、私を愛しているからよ、と言ってくれた。私は親に感謝する事を覚えた。本当に私は人の痛みを知ったと思う。

入院日当日。バイト先には休職にしてもらった。先生は最初1ヵ月位の入院だろうと言ったが、お母さんが先生に私の頬が腫れてません?と言ったので、個室の隔離部屋行きになった。トイレもポータブルで、人生で初めて汚物を看護婦さんに処理してもらうのに、本当に恥ずかしかった。

1週間、隔離される前、先生に膠原病が骨髄液からきてないか調べる為、骨髄液取りましょうとなり、私は怖かった。お母さんは退室して下さいとなり、縋る手すらなくて口から心臓が出るんじゃないか位緊張と恐怖でガチガチになった。

処置は、先ず麻酔をするのだが麻酔が痛くて泣いた。麻酔が効いてくると、大きな注射で骨髄まで針を刺して骨髄液を抜いた。
先生は骨髄液は綺麗だから、骨髄の心配はないと言った。しかし、1時間は起き上がれないと言われ、緊張と恐怖で固まっていた私はどうにもトイレが我慢出来ず、お母さんに言ったら、看護婦さんが鉄のトレイの様なものをお尻の下に敷いて、横たわったまま、して下さいと言われ私はかなり戸惑った。結局少ししか出なくて、看護婦さんはよく出たねーなんて言ってたけど、尿意は消えなかった。そんな時に限って兄貴が、点滴を揺らして遊ぶから、尿意が増すから止めて!とキレて、やっと1時間後起きてポータブルでトイレをする事が出来た。その日のご飯が冷たくて泣けた。
体や心の痛みを覚えて始まった入院だった。

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