膠原病と難病の私。

□親不孝な十代。
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中学生2年の終わり、とある同人アンソロジーを学校に持ってきた友達がいた。それを読んで私はヲタクに目覚めた。当時忍者漫画にハマっていたので、本屋で忍者アンソロジーを買いまくった。大人な同性愛に私はワクワクした。
男は私にとって、萌えの対象になった。だから中学生から男の子を好きにならなかった。その方が楽だったから、私は隠れヲタクとして中学生を過ごした。

高校生になると、ヲタクの友達が出来て初めてオープンになれて嬉しかった。同人サイトも作って、毎日楽しかった。友達に恵まれていたと思う。でも私はそれに気付けなかった。

高校2年生、部活の担任の先生が変わってから、私の人生は狂いだした。部活が息苦しくなった。友達と一緒に部活を止めた…と思ったのは私だけだった。
とある友達は結局止めなかったし、とある友達は別の部活に入った。私1人、止める形になった。
止める時に相談した、クラス担任の先生は、初めは
「何か困ったら相談して」
と言ったので相談したら
「俺には関係ない。そんな相談するな。自分でどうにかしろ」
と言われた。担任の先生が信じれなくなった。

泣きながら部活を止めた。次第に学校にも行かなくなった。夏休み。引きこもった。朝夜逆転の生活がスタートした。ネットにのめり込み、勉強なんてしなくなった。

結果、2年で留年が決まって中退した。

友達とは相変わらずメールしていたけど、段々離れていった。友達を大事にしなかった報いだと思う。
車高に通っていた時が高校の友達と最後だった。
友達の方から何も告げられずメアドが変わって、友達が今何しているか知らない。何でも言えた友達だと思っていたのは私だけで、切り捨てても良い位に思われていたとは知らなかった。今でも、あの子と会いたいと思う。でもそれは叶わない。何故なら罪をしたのは私だからだ。きっかけ、それは私だ。

友達が離れたきっかけ。
自殺未遂をした。
オーバードーズをした18歳。
精神薬を90錠、昼間にガタガタと震える手で飲んだ。それから意識がない。気付いたら病院だった。

覚束無い、辿々しい口調で親に謝った。大量服用による副作用で体はダルい。口は重い。気持ち悪い。
私は初めて、自分の罪に気付いた。自殺未遂で良かったと思った。友達が離れていったけど代わりに親との絆を手に入れた。

しかし、私はまだ本当に気付いてなかった。自殺未遂しても相変わらず、オーバードーズを繰り返し、病院に飛んでいく日々。
髪をブリーチして、コスプレにのめり込んだ。
ピアスをあけ、何回もピアッサーで自分を傷付けた。ピアスの痛みは、生きている実感だった。
ピアスは私の誇り。
穴の分、私は乗り越えたと信じているから。

親不孝な十代を送った。
親の敷いたレールから外れて、初めて人とは違う覚悟をした十代だった。

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