(文)

□手相
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三日目の放課後だった。長期休暇に入ってから三日目でも、週に入ってから三日目でもない。柳蓮二と付き合い始めてから三日目だ。にも関わらず、普段と変わらない日々が続く。恋人になれば、もっと側に入れると思っていたが、以前の様に隣に立つことも出来なくなってしまった。人に知られてはいけない。その思いが邪魔をした。そのせいか、嫉妬深くなった気がした。彼奴が赤也や仁王と話しているのを見るだけで、心に雲がかかった。
「蓮二……」
人気の無い教室に差し込む夕日の赤。全てが赤く染まったその場所で、机を並べ取り組むは、数学の課題だった。
「何だ?分からないところでも有ったか?」
全ての問題を解き終え、置いた鉛筆は小さく揺れた。
「嫌。全て解き終わったぞ」
「そうか」
言って蓮二は机の上に開かれていたノートを閉じる。俺に付き合う口実にデータ整理をしていた蓮二は、勉強までもを見ていてくれた。
「それでは、帰ろうか」
鞄にノートを終い、立ち上がろうとした蓮二を呼びとめたと気付いたのは、蓮二が不思議そうな顔でこちらを見下ろしていたからだった。
「そ、そのだな……」
口籠る俺を、更に不思議そうな顔をした蓮二に、顔が熱くなった。
「て!……て、手相を、見てやろう」
視線を逸らしながら口にした言葉に、蓮二は薄笑う。蓮二の笑い声を聞き、耳まで熱くなるのを感じた。
「弦一郎」
肩を窄めた俺に降ってきた声は、いつもより優しく聞こえた。
「お願いしよう」
いつの間に座ったのか、顔を上げると蓮二の顔が直ぐそこにあり驚く。
「あ……。あぁ」
胸が高鳴っていた。
「では、蓮二。左手を出してくれ」
右側に座った蓮二は、右腕で頬杖を付きながら左手を俺に差し出す。
「蓮二……」
向かい合った蓮二に、急に恥じらいを感じた。
「すまないが蓮二。真っ直ぐ椅子に座ってくれないか?」
「手相とは、向かい合って見るものでは無かったか?」
「祖父に教えて貰ったのだが、その時は横に座って居たからな……。恥ずかしいが位置が変わると分からんのだ」
嘘では無かった。幼い頃、祖父の横に座り手相の見方を教えて貰った。
「これでいいか?」
真っ直ぐ座った蓮二は、俺に掌を見せる。
「あぁ」
その左手を、右手で小指の方から包むように取る。大きく長い指。温かく柔らかい手に触れた。
「どうだ?」
「……良い手相をしている」
その掌を、親指でなぞる。
「そうか?」
「あぁ」
ずっとこうして触れていたい。
「頭の回転が速く、大胆でプラス思考。どんなことでも糧に出来る。あと、創造性があるな」
「ほう」
繋がりが欲しい。
「ようするに頭がいいのだ。あと、論争好きで負けず嫌いだな」
「なるほどな」
本当は、蓮二と手を繋ぎたい。
「幅広い交友関係を持っているから、誰とでも上手く付き合える。機転がきくから周囲からも一目置かれやすいが、人付き合いでストレスが貯まりやすく傷つきやすいので注意だ」
手を繋いで。
「恋愛は分からないのか、弦一郎?」
恋人の様に。
「恋愛、か?」
「あぁ」
並べた肩がぶつかる。
「……さ、寂しがりやで依存症があるな。もてる方だが理想が高いためあまり経験は積まない。押しに弱く断れない。一度興味が無くなると掌を返したように冷たくなる。と、言ったところか」
握った手に汗が滲む。
「一度興味が無くなると、か……。不安か、弦一郎。俺に振られるのが……」
耳元で囁かれたその言葉に、自分の手が震えていた事に気付く。慌てて放した刹那に椅子がガタつきバランスを崩す。机にしがみ付き必死で取り戻したバランスに、大きく溜息を吐く。それを見ていた蓮二は、小さく笑っていた。
「冗談だよ」
声に視線だけを上げ、横目で蓮二を見た。
「本気にしたか?」
笑っていた。
「蓮二……」
夕日で蓮二の横顔が赤く見えた。蓮二は、視線だけを俺に向けると、再び左手を差し出す。
「お手」
理解に苦しむ。
「お……?」
上体を起こし、左手に目を遣ると、再び優しい口調が耳に届く。
「お手」
人を飼いならしたペットの様に扱う。「俺は犬では無い」と言いながら、蓮二の左手に右手を重ねた。
「勿論」
重ねた手は小さく動き、指と指が絡む。
「蓮二?」
しっかりと握られた手を握り返す。
「お前は、ペットでは無い」
繋いだ手は、蓮二の唇に触れた。
「大切な、恋人だ」
胸が轟く。喉に支えた言葉が出ずに、何度も口の開閉を繰り返す。
「さぁ、帰るぞ、弦一郎」
先に席を立ち、振り向こうともせず教室を出た蓮二の背中を見ていた。
「……なんなのだ。……駆け引きは……」

弦一郎。お前は恋愛より仕事を優先するタイプじゃ。一目惚れが無い分時間を掛けて人を好きになる。身の周りの人を好きになりやすい。自分の気持ちを表現するのが下手で駆け引きが苦手なようじゃの。

「苦手なのだ……」
右手を握る。まだ残る柔らかい感触に、唇を重ねた。押しつけた様にしたそれに、自然と身が縮む。
「馬鹿者」
手の甲に唇を放せないままで居た。動かした唇がくすぐったく感じる。
「弦一郎」
だが、それは言葉に引き離される。
「どうした、帰るぞ?」
「う、うぬ」
頷き、蓮二の元へと歩みだす。
「帰ろう」
左手は、差し出される事無く重い荷物を持っていた。

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