指切り

□愛したいと願えば、もうそれは叶っている
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手を引かれて連れてこられたのは保健室だった。保健室にしては書類やら何やらで酷く散らかってはいるものの、独特の薬っぽい匂いが鼻を突く。

「とりあえず茶でも淹れてやるから、それまでソファに座ってろ」

そう言ってソファ(があるらしき方向)を指差す先生。・・・私には書類や様々な雑貨に埋もれた何かが、辛うじてソファらしき形を表しているようにしか見えない。
なかなか座ろうとしない私にとうとう痺れを切らしたのか、先生は無言で繋いでいた手を離すと、つかつかとソファに向かっていく。そして上に載っていたものをドサドサと豪快に床に落とすと丁度、人が一人座れるスペースが出来上がっていた。

「こんなもんでいいだろ」

満足げに呟く先生に促され、ソファに歩み寄ってちょこんと腰を下ろす。何だかばつが悪くてじっと足元を見つめていると、不意に頭をぽんぽんされる感触がした。

「そう暗い顔ばかりするな」

先生はもう一度だけ私の頭をぽんと叩くと、そのままパネルを一枚隔てた奥に入っていく。暫くして、お茶の準備をしているらしきカチャカチャという音がした。

気を紛らわすためにぐるりと周囲を見回してみるのだが、360度散らかり放題の景色だ。
そればかりか、先生がいなくなって、また私は余計なことを考えそうになってしまう。

―――懐かしい温もりだけが、思い起こされる。
幼い頃の私と梓だ。
太陽のような眩しい梓の笑顔。
全て包み込むような優しさと、何の疑いもなく預けあった信頼の体温。
再会した時の、あの何だか分からないような余所余所しい態度なんかではなく、優しい、

「っ――・・・!!」

梓に会いたい。
きっと彼が微笑むのを見たら、こんな迷いなんてどこか行ってしまうだろう。幼い日のように、お互いの心の内を預けあえたら。そう思った直後、先ほど突き付けられた現実が、まざまざと蘇ってくる。

―――もう僕に、話しかけるな―――

切れ味の良いナイフでざっくり削られたような感覚だった。けれど、それが忠告ならば、拒絶されるよりはまだ傷つかなかったかもしれない。
次第にぼやけていく視界の端に、綺麗なエメラルドがちらついた。

「・・・また泣いているのか?」

どこか困ったように降ってきた声とともに、手前のテーブルにカップが置かれるのを、涙で滲む視界で捉えた。

「っ・・・すみま、せ・・・」

謝ろうと開いた口に細い指が宛がわれ、暗に黙ることを指示された私は何も言えなくなった。視線と視線が絡み合う。
ふっ、と彼の口角が優しく緩んだ。

「謝らなくていい。ここは保健室で、保険医である俺の仕事は生徒の世話焼きだ」

それ以上何も言わず、先生は私の隣に腰掛けた。そのまま、安心させるように、大きな手がぽんと頭に乗せられる。
触れている先生の暖かい体温に、別の誰かの体温が脳裏で重なる。

今初めて気付いた訳じゃない。ずっと頭のどこかでは分かっていたこと。
それでも信じたくなくて、そんな考えは心の奥底に追いやっていた。
再び波のように押し寄せてきたそれにぎゅっと眉を顰める。
私が今一番不安に思い、そして同時に恐れていること。


それは、梓がもう私の知っている梓ではなくなってしまったということ。


自覚して初めて、それがとてつもなく大きな痛みを引き起こす。私が心のどこかで、梓はずっと昔のままだと信じていた奢りがあったからなのかも、しれない。

「・・・俺が聞いても大丈夫な話か?」

言い辛そうに先生の口から紡がれたその言葉に、私はゆるゆると首を縦に振る。

「・・・学園で、知ってる人に五年振りくらいに会って。突然で、びっくりしたけど、私は嬉しくて昔みたいに話したんです。でも、その人にとっては、そうじゃ、なかったみたいで・・・ むしろ私・・・嫌われてる、みたいで」

涙ぐんだ声で必死に次の言葉を続けようとする。

「・・・でも、昔の彼だったら絶対、言わないような、嫌なこと、言われても・・・っ・・・、信じ、られなくて・・・昔のままじゃないのかって、心のどこかで、期待してる・・・でも、考えれば考えるほど、頭の中がグシャグシャになっていって・・・」

ぎゅっと堪えるように胸元を握る。
それを先生は、真剣な面持ちでじっと耳を傾けていた。

「でも・・・、私は、嫌われたくないんです・・・っ・・・!彼に嫌われたら、どうしていいか分からない・・・・・・!!」

ずっと我慢して溜め込んでいた気持ちを吐き出すように言ったその言葉。
それと同時に、瞳から一気に涙が溢れ出す。
頭に乗せられていた先生の手が、子供をあやすように私の背を擦る。

「・・・お前は偉いよ。それだけ真っ直ぐ、相手に向き合おうとしてるんだ。誰にでもできることじゃない。・・・少なくとも、俺には出来ない」

そこで一旦言葉を区切り、ぽんぽんと一定のリズムで背を叩かれる。

「だから、その真っ直ぐな気持ちは大事にしておけ。相手がお前をどう思おうと、お前に嫌われたくないって気持ちがある限り、お前はそいつと向き合っていられるんだからな」

力強く諭す瞳に、いつの間にか私は吸い込まれるようにして魅入っていた。
涙が静かに頬を伝うのを感じながら、私はそれでも、ゆっくりと笑顔を見せた。ただ、行き場の無い思いに耳を傾けてくれた人に伝えたい言葉があった。

「――ありがとうございます・・・先生」

満足そうに笑むと、先生の細い指がそっと頬の涙を拭う。照れくさい半面、頬を滑る冷たい感触が心地よくて、私は誘われるようにして瞳を閉じる。

気持ちがある限り、向き合っていられる―――・・・。
嫌われたくない。
私は、今でも梓のことが好きだ。
だから、嫌われたくない。
もう一度話してみたい。
だから・・・
この気持ちを大事に持ち続けようと、その時誓った。




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