勿忘草の心


□10.告白
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放課後の保健室は、遠くの喧騒が嘘のように静かだった。
さっきまで寝ていたベッドに夕日の色が映って、橙色に染まる。
立ち尽くす私の前で、武くんは真剣な顔つきのまま続けた。
「……オレも、いろいろ考えたんス。野球しか取り柄のねー頭だけど、真剣に」
「武くん……どうしたの? 早く帰ろうよ」
私の頭の中で、小さな警鐘が鳴り始める。聞いてはいけない。聞きたくない。
何もなかったかのように、笑って帰りを促してみたけれど、武くんはまっすぐ私を見つめたまま首を横に振った。
「もう、ごまかさないでいいのな」
どくん、と心臓が波打った。
「こんなこと言ったら、先輩に避けられるかもしれねー。このまま知らねーふりして側にいれば、穏やかなまんまでいられるって知ってる」
武くんが一歩近づいて、私は一歩後ろにさがる。
「だけど言わねーと、オレは多分……いつまでたっても七花先輩に弟としてしか見てもらえねーから」
「……ねぇ、何のこと? 私にとって武くんは、確かに大切な弟みたいな存在だけど……それじゃ駄目なの?」
「オレが、耐えらんねー」
武くんは見たことのない切ない笑顔で、また一歩私に近づく。
私は無意識に小さく二、三歩下がったものの、ベッドに阻まれてこれ以上距離をとることができなくなった。
「武くん……帰ろうよ」
「なら、オレを突き飛ばして帰ってくれよ」
「そんなこと……! 一緒に、帰ろうよ武くん……」
なんでだろう。泣きたいのは私なのに、武くんの方がずっと辛そうに笑ってる。
こんな顔が見たいんじゃない。武くんはいつも爽やかで、にかって太陽みたいに笑ってて、うれしそうに私の名前を呼んでくれていた。
こんな、痛みをこらえて笑っているような顔、見たくない。けれど私が話を終わらせようとするたびに、彼の痛みは濃くなっていく。
「七花先輩。それでもオレは、先輩をもっと知りたい。先輩にもっと近づきたい」
武くんがまた一歩踏み出した。
「武く、」
反射的に下がろうとした私は、ベッドに足をとられて体勢を崩してしまった。
「きゃ……!」
「七花先輩っ……」
私を支えようとしてくれた武くんもろとも、ベッドに倒れ込む。
下が布団なので頭や体を打つ心配はなかったが、もうこれで二人の間には距離がない。
「ごめんね武くん、もう大丈夫だから離れ……」
言いかけた言葉は、真摯な琥珀の瞳にさえぎられた。
「逃げねーで」
武くんは馬乗りになったまま、優しく私の両腕を拘束した。
重みで、ぎしっとベッドが軋む。
――――怖い。
私は初めて武くんに、恐怖を抱いていた。
私の知らない武くん。
短い髪に琥珀の瞳、いつも朗らかで私に安らぎをくれる男の子。
まるで……亮斗くんのような、男の子。
「先輩……オレ、先輩が思ってるようないいヤツじゃねーんだ」
今目の前にいるのは、誰?
「最近はオレ、嫉妬ばっかりしてた。……情けねーのな」
私に重みは感じさせない。けれど逃げる自由はくれない、大きな手。
「最初はよかったんだ。ヒバリと先輩は何もなさそうだったし、オレは先輩と昼休み一緒にいられるだけで幸せだったから」
また、泣きそうな笑顔。
やめて。武くんにはそんな顔似合わないよ。
亮斗くんに、そんな顔は似合わない。
「だけど……新学期が始まって、先輩はどんどんいろんなヤツと関わるようになった。いろんなヤツが出てきた」
「や、めて……武くん、帰ろうってば……!」
「嫌だ」
武くんの両手にわずかに力がこもる。
「獄寺だってツナだってヒバリだって、いいヤツだけど……! 七花先輩と話してるとこ見たり、先輩の話をしてるのを聞いたりするだけで、心臓が潰れそうになる!」
「武くん、」
「シャマルは先輩の全部を知ってて、ヒバリも知ってて、でもオレだけは何も知らない……!」
武くんの悲しい叫びに、私は何も言えなくなった。
「こんなに待ってんのに! こんなに支えたいのに! こんなに守りてーのに……! オレには先輩の痛みを何一つ分けてもらえない!」
あぁ……このひとは、純粋なんだ。そして……“本当の恋”をしてるんだ。
「オレ……七花先輩のことが、好きです」
痛みが胸を駆け巡る。
「年下だけど、すげー力もねーけど、七花先輩を誰より思ってる自信ならある! だから……っ」
戒めの楔が脳髄を刺す。
「だから……オレを一人の“男”として、見て下さい……」

この気持ちを何に例えよう。
私はその答えを持たない。
君ならわかるのかな、亮斗くん。空の狭間で笑ってよ。
この私に、こんなキレイな思いを受け取る資格はないって。
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