勿忘草の心


□7.回想
1ページ/5ページ


私はお墓へ向かうバスの中で、亮斗くんとの思い出を振り返っていた。
これは毎年のことだ。私は毎年彼の命日には、できるだけ多くの記憶の欠片を思い出そうとしている。
彼の欠片を。彼との時間の欠片を。

――君の名前を毎日ずっと呼び続けてた。
君じゃない人の名前を呼ぶことも、時が経つほどに増えていった。
君の面影が薄れるのが怖い。
君の声を忘れてしまうのが怖い。
君の記憶が色褪せていくのが怖い。
君を思う時間が短くなっていくのが怖い。
……絵を描くことが私の命。私の存在理由。
私の絵は君のためだけにある。
ごめんね、亮斗くん。君のことが、どうしようもなくすきなんだ。すきですきで仕方ないんだ。
君のすべてを一つでも思い出せると、とてもうれしい。
私はこれからも、君のことを思い続けていたい。

バスに揺られて、窓の風景を横目に私は息を吐く。
この日はとても苦しい日だ。けれど、何より大切な日だ。
何があろうとも、絶対に逃げ出したりしない。
私は胸元のペンダントを、ブラウスの上からきゅっと握りしめる。
君への思いに死ねるなら、人知れず散る花でかまわない。
「亮斗くん……」
小さくつぶやいたその名前は、懐かしく切なかった。
バスの窓から見える景色が、夕焼けから濃紺へと色を変えようとしている。普段なら絶対に来ないほど山奥に、そのお寺はある。
まだあと30分弱は乗っていなければならない。
私はそっと目を閉じて、亮斗くんとの記憶に思いを馳せた。

*****

彼との出会いは、私が小学校2年生のとき。
クラスで自己紹介をした際に、初めて彼を知った。
『桜庭亮斗です。これからよろしくおねがいします!』
昔は今よりさらに引っ込み思案だった私は、遠目にも彼をすごいと思った。だってこんなに多くの人の前で、笑顔で堂々と挨拶できるなんて信じられなかったから。
でもこの時はただ、すごいとしか思わなかった。
私の気持ちが変わったのは、それから何ヶ月か経ったある日のことだった。
今でもはっきり覚えてる。あのときあの場所には、私と私の友達、そして彼だけがいた。

私は私立の小学校に通っていた。勉強だけでなく音楽や美術にも力を注ぐ学校で、あの日も私たちのクラスは、美術の授業を終えたところだった。
美術室から帰ろうとした私だったが、ふと見知った友人が席で立ったり座ったりしているのを見て、踵を返した。
かわいらしいピンク色のゴムで束ねた髪が、上下にぴょこぴょこ揺れている。
『どうしたの?』
『消しゴムをおとしちゃったんだけど、見つからなくて……』
そう言われて、私は彼女と一緒に消しゴムを探し始めた。
周りの皆は私たちに気付くことなく、次の授業の教室へと向かっている。
時計を見ると、移動時間を考えてもあと二、三分しか探し物はできない。
私たちは、美術室の彫刻の下や掃除用具入れの下などを必死に探した。
周囲には見当たらなかったため、どうやら込み合った机と椅子の下にあるようだ。
そこで私と彼女が、席の両端から順々に確認をしていた時だった。
『どうかした?』
顔を上げると、そこに彼がいた。
短い髪に琥珀の瞳。自己紹介のときからしっかりしていて、今は体育委員の……、
『桜庭……くん』
『おう! なんか探し物か?』
私は教室の反対にいる友人を指差して、現状を説明した。
『消しゴムなくしちゃったんだって。いま二人で探してるの』
すると彼は、美術室を出ようとしていた男子に声をかけた。
『ちょっと俺探し物があるから、おくれるな』
『わかった。次体育だから、きがえるの急げよ』
『おー!』
彼は迷うことなく美術室に残り、私たちに太陽のような笑顔を向けた。
『消しゴムってどんなやつ?』

私はあのとき、その優しさに心惹かれた。
他の誰もが気にもとめずに去って行く中で、私たちに気付いて消しゴムひとつを一緒に探してくれた。
きっかけは、そんな些細なこと。
けれど私はそれから彼を目で追うようになり、どんどんその魅力に引き寄せられていった。
彼は不思議なひとだった。
落ちてくる桜の花びらを手でつかまえようとしたり、昼休みには校庭で“ドロケイ”なる遊びに夢中になっていたり。
そんな年相応なところもあれば、喧嘩の仲裁をしたり、皆の嫌がる係を引き受けたりと、大人びたところもあった。
思えば彼は、どんないたずらをするにしても、誰かを傷つけるようなことは絶対にしなかった。
いつだって明るく爽やかに笑っていて、さりげなくクラスの中心にいる。
いつの間にか、違うクラスの生徒たちでさえ彼と楽しげに話している。
それが桜庭亮斗という少年だった。
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ