勿忘草の心


□3.日常
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この日私は、武くんに借りたタオルを返しに来た、んだけれど……。
「あの、山本武くんいますか?」
廊下近くの席の少女に尋ねたところ。
「あぁ山本? ならあっちの席に……ってお姉さん誰!?」
「あれって高校の制服じゃない?」
「え、じゃあ何、山本君のカノジョ!?」
「えーっ!! だから山本君、誰とも付き合わなかったの!?」
「さすがに年上には勝てないわぁ……」
「ショックー……」
「まぁいいじゃん。仕方ないよ。同じ学年よりはあきらめつくし」
「ちょ、山本君ー! 付き合ってる人いたの!?」
……一言でまとめると、うるさい。
耳にキンキン響く高い声の応酬に、さすがの私も眉をひそめた。
中学に来てわかったのは、若者の凄まじいパワーと、いかに武くんが人気者であるかということだ。
しかも妙な勘違いまでされている。これでは彼の方がいい迷惑だろう。
このクラスの中に、あるいはこの中学のどこかに、好きな子がいたっておかしくない年頃なんだから。
そこで私が、武くんの名誉のため、違うと声を張り上げようとした時だった。
「るせぇーんだよ! 昼休みくらい大人しくしてろ! これから10代目が宿題をなさるんだからな!」
「ちょっ……、獄寺君!」
二人の少年が私の横を通った。
一人は銀髪の不良みたいな少年で、もう一人は気弱そうだが優しそうな茶髪の少年だ。
二人が教室に入った瞬間、喧騒が少しだけ和らぐ。
そして教室の窓の方から、満面の笑みを浮かべた武くんが走ってきた。
「七花先輩!」
「こんにちは、武くん。はいタオル」
「わざわざ洗って返さなくてもよかったんスよ? まぁ、先輩に会えたのはすげーうれしいけどな!」
かわいいことを言ってくれる。なんだかかわいい弟分ができたようで、私の顔もほころんだ。
「武くんって人気者なんだね。教室入ってびっくりしちゃった」
「そんなことないっスよ。それより先輩、外出ません? せっかく晴れてるんだし、ここらだと騒がれるみてーだし」
銀髪の不良少年を恐れてか、多少は静かになった女子たちだけれど、依然として意識はこちらに集中している。タオル一つ返すのに、どれだけ見せ物にならなければならないというのか。
きっと恭弥くんが見たら、悪鬼のごとき形相で『咬み殺す』と言うだろう。
私は目立ちすぎている現状にため息をこぼし、武くんの案にうなずいた。
「……そうだね。せっかくだし、ちょっとひなたぼっこしよっか」
「オレ、穴場知ってるんスよー!」
屈託のない笑顔が爽やかな武くん。その上野球部所属で、とても優しい。
考えてみれば、これで人気が出ない方がおかしいのだ。
これからは、周囲に誤解を与えるような目立つ行動は控えよう、と心に決める私だった。
……とはいえ、並中に通っていなかった私にとって、中学の穴場がどんな場所かは気になる。
私は自身の好奇心に負け、武くんにうながされるまま歩き出した。
「じゃあオレ、屋上行ってっから」
武くんは先程の少年二人と知り合いだったようで、片手を上げてそう告げた。
銀髪くんの方は「とっとと行っちまえ」といった反応で、しっしっと手を払っている。茶髪くんの方は、高校生が中学にいることを不思議に思いつつ手を振っている感じだった。
武くんを助けたという『ツナ』という子は、あのどちらかなんだろうか。
そんなことをぼんやり考えつつ、私は武くんに視線を戻した。
「……並中って、屋上があるんだね」
「はい。普段は立入禁止って書いてあるけど、あれって札をひっくり返しちまえば入れるんスよ」
武くんに連れられて、階段を上る。
すれ違う中学生に見られるのは、やはり高校の制服が珍しいからか。
私は見られることに慣れていないので、内心かなり緊張しながら階段を上っていた。
「七花先輩、顔がひきつってる」
「なんだか中学って、緊張しちゃって……」
武くんはふっと笑って、どこか大人びた顔を私に向ける。
「……七花先輩って、かわいいのな」
「もうっ、からかわないでよ」
「からかってな……あ、つきましたよ」
そう言って武くんが開けた扉の向こうには、どこまでも抜けるような青空が広がっていた。
亮斗くんが校庭で元気に走っていたときも、晴れていたっけ。
……もう、記憶があいまいになってきてる。でもやっぱり、亮斗くんには太陽と青空が似合う。
「七花先輩! ここに寝っ転がるのが気持ちいーんス!」
亮斗くんに似た笑顔で、言葉通り寝転がって大の字になる武くん。私も一緒になって、隣に寝転んでみる。
――青空がまぶしい。
当たり前だ、私は生きているのだから。この眼が機能し、色や光を感知し、それを脳に伝えているのだから。
「ここ、絶好の穴場なんスよ」
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