勿忘草の心


□1.邂逅
1ページ/5ページ


満開まであと少しだろうか。
桜の花びらが舞い散った。
私の頬をすり抜けて、青空へと飛んでいく。
その様は一枚の絵のように美しくて、私はふと足を止めた。
……のがいけなかったらしい。
「わわっ……」
気付いたら、恐そうなリーゼントの学生に正面からぶつかっていた。ガタッという音とともに、手にしていたキャンバスが落ちる。しかも、落ちたキャンバスの角がリーゼント学生の靴にめり込んでいた。
「すみません!」
私は反射的に腰を折り曲げ、ジャスト90度の角度をつけて謝った。私なりの最大限の謝罪のつもりだ。
だって普通に考えて、相手が悪い。今時リーゼント、しかも強面な学生……学生?
「あぁ、いえ。それより絵に傷がついていませんか?」
「え……?」
制服を着ているので、学生なのだとは思う。しかし、『謝って済むか、あぁん!?』くらいの因縁をつけられる覚悟をしていた私にとって、その紳士的な態度は驚きものだった。
とりあえず気づかってもらったので、さっとキャンバス全体を見回す。
……うん、傷も汚れもない。
「はい、大丈夫です。よそ見していてぶつかってしまったのに、心配までしていただいてありがとうございます」
すると学生さんは、その外見からは想像できないような柔らかい笑みを向けてくれた。
「よそ見していたのはこちらも同じです。満開間際の桜は綺麗だ」
「……はい」
春爛漫。満開という大きな舞台に向けて、あと少しというところ。
満開まで咲いてしまえば、あとは散るしかない。短い期間華やいで散り逝くと知ってなお、毎年くり返し咲き誇る花。
別れと出会いを象徴するかのように、春を伝える花。
……桜は美しい。古くから残る和歌にも数多く詠まれるように。
桜は儚い。人の心を惑わすほどに。
そして人は、どうしてもその儚い美しさに何かを重ねてしまう。
若さや、時間や、命を。
「……本当にすみませんでした。じゃあ、私はこれで失礼します」
私がキャンバスをしっかり抱え直し、歩き出そうとしたその時だった。

「何してるの、草壁」

視界をよぎったのは、見慣れない黒い学ラン。
「すみません、委員長。この方にぶつかってしまって」
「そう」
“風紀”の腕章。
風になびく学ランと同じように黒い、さらさらした髪。
「見回り、こちらは異状ありませんでした」
「さっさと次行くよ」
全身黒ずくめの少年が、目の前に現れた。
リーゼント学生さんと会話している学ランの少年は、何故か敬語をつかわれている。
年の頃は私より二つか三つ下、といったところだろう。どう見ても、最初に会ったリーゼントの彼の方が、年は上だ。
しかし、最近の若者の見かけなどあてにはならない。私のクラスメートにも、とても高校生とは思えない化粧をしてくる子が何人もいる。
そんなことを考えていたからか、無意識に私の視線は黒髪つり目の偉そうな少年に向かっていた。
じろじろと見られた少年は、当然不快を表情に出す。
「何見てるの」
「あ……いえ、すみません。綺麗な髪だったものでつい」
不機嫌を隠そうともしない傲慢な態度、けれどそれが許されてしまうような、不思議な少年。
雰囲気に気圧された私の口から、思わず考えていたことがこぼれ落ちる。
我ながら、かなり間抜けな台詞だったと思う。
それでも彼は、特にそこには突っ込まず、問いかけてきた。
「……、君。僕のこと知らないの?」
鋭い目付きのままの問いは、自分のことを知っていて当然、という反応。
私はとりあえず記憶をたどった。
クラスメイトの弟?
……悲しいことに、私はそこまで記憶力に自信がない。
最年少で何かの賞をとった有名な人だったとか?
……残念ながら、私はニュースにうとい。
実は知り合いだった?
……さすがにそれは忘れないと思う。
私は内心首をひねりながら、尋ねた。
「初対面だと思いますけど……お知り合いでしたっけ?」
すると少年はわずかに目を見開き、唇の端を引き上げた。
「君、その制服、並高のだよね」
「え、はい」
私は去年の春この並盛に引っ越してきた。今年は二年生になる。
春休みにあたる今、何故キャンバス片手に学校へ向かっているかというと、美術部の活動があるためだ。
そういえば午後からは、美術教諭が指導に来てくれる予定があった。
今からでも間に合うだろうか。
私が時計を確認しようとしたのと同時に、金属音。
ジャキン。
「並高でも、アクセサリーは校則違反だよ」
少年が、どこからか銀の棒を取り出して左右に構え、私の首に目を向けていた。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ