勿忘草の心3

□18.喪失
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翌朝、骸くんが来てくれた。
骸くんは私にとって、一番話しやすい相手だった。彼は何も聞かない。
私を見て寂しそうに笑ったけれど、何も聞かないでいてくれた。穏やかな時間が流れた。
お昼になると、珍しくシャマル先生が昼食を持って病室に来てくれた。
「……食えるか? 七花」
持ってきた昼食を私が口にできなくても、先生は責めなかった。
代わりに、骸くんと話し始める。
「……お前にも、どうすることもできねーのか?」
「……はい。精神世界があれば、干渉することもできたでしょうが……」
「…………ねぇのか」
骸くんの大きな手が私の髪を撫でる。
「……正確には、まだあります。だから彼女は我々と会話ができる。本当に精神世界がなくなったら、廃人になってしまう」
「あるなら、そこに……」
「在る、だけなんです」
頭を撫でられて、なんだか安心した。
「真っ白な空間でした。人一人がかろうじて入れるくらいの白い立方体。そこに七花さんは膝を抱えて座っています。……あのペンダントと同じものだけが、七花さんの足元に落ちていました」
「――……」
「僕でさえ、見ることしかできませんでした。入ることができない」
今日も空は曇りだ。
「僕が入るだけの空間の余裕がありません。仮に無理矢理侵入を試みたとして、あの狭い空間です。失敗して僅かでも彼女に触れてしまえば、あの場所は壊れるでしょう」
「……そうしたら七花は、もう……」
「はい。自分のことも僕達のことも家族のことも、何も認識できなくなってしまう。文字通り、廃人になってしまいます」
曇っているのに明るいのは、太陽の光がそれだけ強いからなのかな。
宇宙の向こうの星なのに、すごい力だ。
「…………貴方に信じていただけるかはわかりませんが、七花さんは僕にとって大切な方です。かけがえのない、……母のような、温もりをくれた初めての人です」
「……今さら疑ってたら、お前をこの部屋に入れねーよ」
「クフフ、そうですね。…………僕は、七花さんを失うことが……………………怖い。こんな恐怖を抱えながら、針の穴を通すよりも緻密な……それでいて世界の破滅より責任の重い賭けに出ることは…………僕には、できません」
みんなの話し声が、遠くから聞こえる。
「……申し訳ありません、Dr.シャマル。僕では彼女を……救えない」
「……お前でできねーなら、他にできるヤツなんかいねぇよ」
髪を撫でる手つきに目を閉じる。
「どうしたら…………七花さんの傷を癒せるんでしょうか」
「そんなこと……オレの方が知りてぇよ…………」
穏やかな気分なのに、綱渡りをしているような危機感が胸の奥底にある。きっとこれが、私に残された最後の本能。
この糸が切れた瞬間、私は私でなくなるんだろう。それはそれで構わないけれど。
「僕はマフィアではないですが、……沢田綱吉だってマフィアではない。そして…………マフィアではなくとも、ボンゴレです」
「あぁ、そうだな。狙われたのはお前らボンゴレだ」
「僕たちは七花さんに救われてきたのに、僕たちが彼女を危険に晒した…………クフフ、皮肉ですね」
「本当にな。だが…………」
私が私でなくなると、どうなるんだろう。自我がなくなるって、それは死とどこが違うんだろう。
「……お前らボンゴレ坊主共がいなけりゃ、七花は生きようと前を向かなかった。……だから皆殺しだけはやめてやるよ」
「…………そう、ですか」
それきり、沈黙が流れた。
誰も何も言わない。動かない。
そうやって、何分が過ぎたのか。あるいは何時間が過ぎたのか。
烏の声が聞こえた。
骸くんは私の目を覗き込んで、苦笑する。
「……僕ではなく雲雀恭弥なら…………貴女を救えるんでしょうか…………」
「?」
骸くんが私の頭を軽く撫でて、病室を出て行く。シャマル先生も、「また夜にな」と言い残して出て行った。
よくわからないままうなずいた私の目に映ったのは。
「!」
彼らと入れ替わるように病室に入ってくる、恭弥くんの姿だった。
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