勿忘草の心3

□15.新月
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ペンダントを胸に抱きしめてから、机に置いた。
カレンダーを見ると、奇しくも今夜は新月だったようだ。
今まで夜ごと私を照らしてくれた月は、確かに窓の外に見えない。黒い宵闇の中にいない。
「…………」
涙は、もう、出なかった。
声も出ないのだけど、と一人苦笑する。
シャマル先生に抱きかかえられて、病室に戻る時、廊下にいるみんなの顔がお葬式みたいで少し笑ったのを思い出した。
ベッドの中でふかふかの枕に背を預ける。
目を閉じる。
このまま、ゆっくり深く呼吸が止まればいいのにと願いながら。
「…………」
外でシャマル先生がみんなに私の説明をしてくれている。
私は先生に面倒ばかりかけていて、何が返せるのだろうと考えた。
先生は優しくて、本当に優しくて、私に何一つ見返りを求めず接してくれた。
私にはそんな風にしてもらう価値などないというのに。
ふと思いついて、チェストに置いてあったスケッチブックを手に取った。
一枚破って、近くにあったボールペンで『シャマル先生へ』と書く。手紙を書くなんて初めてで、緊張しながら一文字目を書き出す。
「…………」
あまり長くは書けなかったけれど、それを折り畳んだ。そっとスケッチブックに挟む。

長いような短いような時間だった。
みんなへの説明が終わったのだろう、シャマル先生が病室へ入ってきた。
私を気づかってか、一人だ。
「……これ、あった方が便利だろ?」
ノートサイズのホワイトボードとマーカーを渡されて、私はうなずいた。
紙に書くよりは資源が無駄にならない。
「…………オレは、どうしたらいい? 七花が居て欲しいならここにいるし、一人になりたいなら出て行く」
どうしたらいい、のだろう。
私はそれを決めることができない。
どうして欲しい、のだろう。
私はそれを考えることができない。
マーカーペンを握ったものの、もらったホワイトボードに何も書くことができなかった。
孤独が怖いわけでもない。
温もりを求めているわけでもない。
私は、何も求めていなかった。
先生の質問から何分経ったかわからないまま、なんとか文字を書く。
【わからない】
「…………そ、うか。……………………そう、だよな」
何かのせいにできるなら、救われたのか。
誰かのせいにできるなら、掬われたのか。
無意味な仮定すら、どうでもよかった。そんな仮定が許されるのは、被害者のみだ。私は、加害者だから。
こんな私の側に居ても何も得るものはない。
でも先生は先生という立場上、私の側に居なければいけないのかもしれない。
何も言わず動かない私を見て、先生はそっと椅子に腰を下ろした。
「……じゃあ、オレが七花の傍に居てやりたいから、勝手にそうする」
先生はここにいることすら、自分のせいにしてくれる。私に何一つ負担がかからないように、心を砕いてくれる。
大切なもの一つ守れない無力な私のために。
今私の持つもので、先生に何を返せるんだろう。
「……他の奴らもいるけど、呼ぶか?」
私は首を横に振った。
今私がお返ししたいのは、先生だから。
マーカーで慣れないながらにキュキュ、と文字を記す。
【シャマル先生と二人でお話ししたいです】
それを見て、先生は目を見開いた。
先生が動揺するところなんて初めてで、不思議な気持ちになる。
「……わかった」
先生は私の目を見つめて、尋ねる。
「何が話したい?」
正確には、私は先生に教えてほしいのだ。
ゆっくりと単語を選び、ホワイトボードにペン先を押し付ける。
【先生は、女好きなんですか?】
文字列の終わりに、先生は息を飲んだ。
「は…………? どういう、意味だ?」
これでは伝わらなかったらしい。
私は悩み、一度文字を消して書き直す。
【女の人と遊びたいですか?】
「七花…………?」
駄目だ、これも伝わらない。
私が直接的な表現を避けているからだ。声が使えない今、そんなことをしたって先生の時間を無駄にしてしまう。
やや乱暴にその文字を消して、今度はしっかり書き直した。
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