勿忘草の心3

□8.無題
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意味が、わからなかった。
何がわからないのかさえ、わからなかった。
私の記憶が正しいと言いきれる根拠はない。でも、亮斗くんのお葬式のことを、お墓のことを、記憶違いだと言うにはあまりにショックが大きい。
『鑢さんはこの辺に勤めてるの?』
大人になったから、苗字にさん付け。
『オレ、貿易会社で働いてるんだけど、明日から日本支部行きになったんだ。会社、すぐそこでさ』
アメリカに行った亮斗くんがもしも生きていたなら、確かに英語はぺらぺらだろう。
『この辺のことはさっぱりだから、今度教えてくれますか?』
他人行儀な敬語に、泣きたくなった。
『ありがとな! …………あ、すみません。日本語だとすぐタメ口になっちゃって』
むしろそうしてほしい。あの頃のように。
『タメ口の方がいい? ははっ、鑢さんってこんなキャラだったっけ?』
笑うあなたの顔を見て、私は涙をこらえることができなかった。
『え!? どうした!? オレ、何か失礼なこと言ってた!?』
私は亮斗くんの声変わりを知らない。そんなもの、存在していたのかすら知らない。
だから彼の声が本物かどうかなんてわからない。
失礼を承知で、私は問うた。
あなたはあの日、亡くなったのでは?と。
彼は言った。
『オレ、確かに事故には遭ったけど、一命は取り留めたよ? じゃなきゃここに居ないだろー?』
困ったように笑うあなたと記憶の中の冷たい肌の彼が、目まぐるしく入れ替わり立ち替わり。
『どうしたんだよ? オレ、死んだと思われてるの? ……まぁ、手術の後またすぐアメリカに戻ったから、鑢さんとかクラスが違うみんなには挨拶できなかったけど』
信じられない。
これは、夢?
私に都合のいい夢?
『あの頃からずっと仲良くしてるから、大矢…………あ、覚えてるかな? オレたちと同じクラスだった、大矢一紀。これが電話番号だから、あいつにも聞いてみて。…………鑢さん、ちゃんとオレは生きてるよ』
大矢くんの連絡先と亮斗くんの連絡先をもらって、私は帰宅した。
帰宅してすぐに、大矢くんに連絡した。
『おー、鑢さん。久しぶり』
彼は亮斗くんが生きていると言った。中学生になってからも高校生になってからも、連絡を取り続けていると。
私は引っ越した時に卒業アルバムの類を捨ててしまったことを初めて後悔しながら、記録にある限りの数少ない小学校の同級生に電話した。
桜庭亮斗くんについて、忘れてしまっている人もいた。けれど、覚えている人は皆口を揃えて生きていると言った。
結果、電話の回数と同じだけ私は彼らに、頭は大丈夫かと訊かれた。
私だけが、亮斗くんの生存を知らなかった?
いや、有り得ない。
だってあのお葬式の日の記憶は、あまりにもリアルだ。
そして私の胸に今も光るロケットペンダントには何が入っている?
亮斗くんの骨だ。
骨を入れて以来、一度も開いたことのないペンダントを開こうとして、私の手は震えた。
骨壷のように管理していたわけではないため、中身が残っていない可能性があったからだ。あの時確かに骨を入れたけれど、風化してしまっている可能性を否定できない。
ペンダントヘッドを開けて何も入っていなかったら、私はたちまち恐怖に襲われるだろう。理由が私の記憶違いだろうと、骨の風化だろうと。
入っていても、じゃあ今日会った彼は誰だと言うの?
骨があるなら、彼は私の知る桜庭亮斗くんではないことになる。しかし、どこの誰だろうがすでに死んでいる亮斗くんに成りすます意図がわからない。
私は彼が死んだという妄想を信じ込んで、今まで苦しんできたと言うの?
そんなわけ、ない。
でも、それを証明する術がない。
何が起きているのかわからない。
誰にも言えない。
どうしたらいいのかわからない。
ただ一つわかるのは、間違っているのが私の記憶であるか、今日出会った彼であるか、そのどちらかだということだ。
私の記憶が、その全てが違っていたとするなら、いったいいつから違っていたのか。
私の記憶が正しいのなら、今日会った彼はいったい誰なのか。
はたまた私の愛した人は、別人だったとでも言うのか。
考えるだけ苦しくて、とても平静を装うことなどできなくて。


私は翌日、初めて病欠と偽って会社を休んだのだった。
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