勿忘草の心3

□5.哀憫
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骸くんとたくさん話して、穏やかな時間を過ごした。
彼のことを知れてよかったと思う。
昔何があったのか、過去のことは話してくれなかったけれど、骸くんは何を見て美しいと思うのか。印象に残っている絵画は何なのか。好きな景色はあるのか。
そういったことをたくさん語り明かした。少しだけ切ない、でも温かい時間だった。
……だがこの後に待っているのは、ある意味一番の難関かもしれないスっくんとのお試し期間である。
私には一抹の不安があった。
これまではみんなが制してくれていたこの人の情熱が、周りに迷惑をかけないかと。
果たして私の不安は現実のものとなる。日付が変わった瞬間、この人は窓から現れた。
繰り返そう。
スっくんは、窓から現れた。
「う゛お゛ぉい!! ようやくオレの番かぁ!! 覚悟はできてんだろうなぁ!?」
夜中に窓を外されて大声でそう言われた私はとりあえず。
「う゛ぉい!! 七花、聞いてんぶべらっ」
バゴッ、と彼の頭を窓枠で叩いたのだった。

*****

ようやくオレの番だ。
待ち切れず自宅まで押しかけたのは悪かったが、出会い頭に殴るのはどうだと異議を申し立てたい。
「いいですか、スっくん。ここはマンションです。隣に他の人が住んでます。そして今は夜中の0時です。近隣住民の迷惑になるような行為を謹んでくれないなら、私はこの期間スっくんにはもう会いません」
ふざけるな、と叫ぼうとして思いとどまる。
そうだ。ここは七花が住んでいる場所。いずれオレも住むことになるかもしれないのだから、周りに良くないイメージを持たれてはいけない。
「……なんかスっくんがとんでもない妄想してるような気がするけど…………まぁ、静かにしてくれるならいっか」
寝巻き姿でかすかに濡れた髪をタオルで乾かしている七花。
風呂上がりだからか頬は薔薇色で、唇が艶めいている。
「…………っ」
我慢、できるわけがなかった。
細い腕を掴んで引き寄せ、その唇を奪う。
「! ちょ、いきなり何を……っ!」
「これまで待ってやったんだから文句言うなぁ!」
「スっく、んっ!」
そこで、はたと気付く。
この場所だから周りを慮る必要があるのだ。
ならば。
「えぇ!? 今度はいきなり何!?」
驚き慌てる七花を抱き上げ、オレは空に跳躍した。
「ちょ、ちょ……!! こわ、怖いから! 高いから!」
「首に手ぇ回しとけぇ」
ヴァリアー邸まで連れて行けばいいのだ。
明日まで待っていられない。
今すぐにでも触れたい。足りない。
もっとお前が欲しい。
おそるおそるオレの首に手を回す七花が愛しくて仕方ない。
柔らかい額に口づけて、オレはヴァリアー邸までの最短距離を駆けたのだった。

*****

何が何だかわからないまま、私はスっくんの部屋へと連れて来られた。
誘拐だ。拉致だ。
切々と訴えたいところだったが、時間も時間なので眠りに落ちてしまった私。
朝起きて、びっくりした。
「!」
目の前に、スっくんの顔がある。
閉じられた目を囲む睫毛までが綺麗に朝日を反射して、思わず息を呑んだ。
……そう。この人は、黙っていればとても綺麗なのだ。
すっと通った鼻筋に、銀色の真っ直ぐな髪。
私を緩く抱きしめる手だって大きくてしなやかで、なのにあどけない寝顔。
「…………ほんとにスっくんは、ずるいなぁ…………」
起こしてしまわないようそっと、頬に触れる。
この人は変わり者だ。本当に、どうしようもない人だ。
『他の女を抱いてる時間が勿体ねぇ!! キスさせろぉ!!』
『あ゛ぁーくそ、やっぱり七花が好きだぁ』
『オレじゃねぇ奴に守られるお前なんか見たくねぇ!』
こんな私の何がいいのか、スっくんはこの十年本当に私のことだけ見ていた。
あの十年前の誓いを、本当のことにした。
……報われるかも、わからないのに。
どうして私を好きだと言うのかわからないし、もはや意地なのかもしれない。
それでも、変わらず好意を伝えてくれるその低い声に。
ちょっと強引に求めてくれる手に。
私はきっと、救われていた。
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