勿忘草の心3

□3.彼方
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ふと、思った。
もしかしたら私には、これから先も恋というものがわからないかもしれない。
今までは、心のどこかで思っていた。
いつかは私も少女マンガの登場人物みたいに誰かに恋する気持ちがわかって、どきどきするんじゃないかって。
十年後かもしれない。
二十年後かもしれない。
でもきっと、そんな日が来るはずだって。
……だけど、もしその“いつか”が私には訪れないとしたら。
恋じゃないのに誰かを選ぶの?
誰も選ばなければいいの?
答えてくれるものなど、何処にもいない。

*****

緊張しながら、私は深呼吸を試みた。
今私は隼人くんのお試し恋人である。で、あるはずなのだが。
「うーむ…………」
彼が、何を考えているのかわからない。
お試し期間に入った途端、突然会いに来るなと言われた。連絡もぱったりと途絶えた。
そしてそうこうしているうちに、お試し期間最後の日になってしまった。
隼人くんは私に会いたくないのだろうか。
もしかして、私以外に別の好きな人ができたのだろうか。
少し寂しいけれど、その方が彼の未来は明るいだろう。
こんなわけのわからない女に振り回されるより、可愛い彼女と青春を謳歌すべきなのは言うまでもない。
隼人くんから何の連絡も来ていないのだから、私は身を引いた方がいいと思った。
ただ、これから先、もう彼と話すことがなくなるのなら。
それならばなおのこと、今までの感謝を伝えようと思って私は此処まで来たのだ。
ボンゴレ日本支部の、隼人くんの部屋の前。
ボンゴレに行ったことは数回あったけれど、客間までしか見たことはない。
個人の部屋なんて場所も知らないし、どんな人たちが住んでいるのかさえ私は知らない。
それでも最後くらいきちんとしよう、そう意気込んだ矢先、フロントで身分証明書の提示を求められた。
……悲しいかな、私の保険証を見た瞬間フロントのお姉さんが真っ青になって謝りはじめ、一流ホテルにいそうなボーイさんがすぐさま隼人くんの部屋へと案内してくれた。
私はボンゴレという自警団の中でいったいどう認識されているのだろう。
知りたいような知りたくないような、複雑な心境である。
いや、せっかく来たんだから、この決意を無駄にはしない。
私は胸元のロケットペンダントをきゅっと握りしめて、顔を上げた。
別れの言葉、感謝の言葉、伝えたいことはいっぱいある。手が届くうちに。声が届くうちに。
私は隼人くんにたくさんのものをもらった。
支えてもらった。
だから、伝えたい。

――コン、

小さくノックしてみる。
「隼人くん、いるんでしょ?」
………………………………。
………………。
…………反応がない。
これは何だ。もう顔も見たくない、という意志表示か。
「……っ」
だとしても、そうは問屋が卸さない。
私は勝手にでも一方的にでも、今までの感謝を伝えたいのだ。
自警団上層部は各々が自宅をいくつか所有している上、この日本支部ではなんと一人一部屋ではなく一人ワンフロアに住んでいるという。
部屋とか家とかマンションとか、そういった住居の概念が根底から覆りそうなこの廊下に、――つまりはこの隼人くんの部屋の周りに、人影はない。
なら、他の人に聞かれる心配もないだろう。
たとえ聞かれていても、顔も見せてくれない方が悪いと開き直ってやる。
「……隼人くん、聞こえてるって信じて伝えるね」
重厚なドア、豪奢なその縁に額をあてて、私は目を閉じた。
「隼人くん……今まで本当に、ありがとう。十年前からずっと、隼人くんは私に優しかったよね」
あの海での件は、当事者である私とツナくんと恭弥くん、そして紗知と武くんしか知らない。
隼人くんには、どうしても言えなかった。
いつもツナくんを10代目と呼ぶ真っ直ぐな翡翠の瞳。あの瞳に真実を告げる勇気がなかった。
言ったら私の想いを否定されそうで、怖かったから。
真っ直ぐすぎる眼差しの人に、理由はどうあれ自ら命を絶とうとしたなんて、言えるわけがない。
正しく生きている隼人くんは、きっと私の考えを否定するだろう。むしろそうあってほしいし、そうあるべきだとわかっている。
……それでも臆病な私は、亮斗くんへの想いを否定されることが怖くて、隼人くんにだけは言えなかったんだ。
「私の腕の傷がなくなって、隼人くんから煙草の匂いがしなくなって。私は勝手に、隼人くんと一緒に時を重ねてる気分だった」
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