きみだけに捧げる狂想曲

□ダイスキ
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一瞬、空気が震えた。
ピンとはりつめた雰囲気の中、京子ちゃんはそこに、ただ凛と立っている。
そして、言った。
『六月ちゃんは、私が守る』

*****

私が瞬きをした、その一瞬だった。
――ガシャアッ、

「――グルゥウガァアアアアアアッ!!」

教室の窓が破られ、黒い野犬が一匹、こちらに牙をむいてくるのが見えた。
左右の目の色が違うその野犬は、窓ガラスの破片を纏って私の方に跳んでくる。
このままだと、喰われる。
そう思って思わず悲鳴をあげかけた刹那だった。

――――ダダダッ、

私の横を、京子ちゃんが駆け抜けた。
「京子ちゃ……っ!」
「――――」

グサッ……、という生々しい音と、血液が垂れるポタポタという音。
私は顔面蒼白で、口元をおさえた。衝撃のあまり腰が抜けて、その場にへたりこむ。
京子ちゃんの右手にはいつの間にか折りたたみナイフが握られていて、その尖端は野犬の喉から心臓にかけてを切り裂いていた。
「六月ちゃん、大丈夫?」
野犬の血を全身に浴びて、京子ちゃんは私を振り返ってにっこり笑った。
京子ちゃんの薔薇色の頬にも鼻にも、細い腕にも白い制服にも、赤黒い血が飛び散っている。
それでも京子ちゃんは、何もなかったかのように犬からナイフを引き抜いた。
「六月ちゃん?」
「あ……っ、ぁ、うん。……大丈夫……」
このクラスの誰が想像しただろう。血染めのマドンナを。
「六月ちゃんが無事ならよかった!」
京子ちゃんは明るく笑って、瀕死の野犬に視線を戻した。
私には彼女の表情は見えない。けれど、聞いたことがないほど低い声で、京子ちゃんは犬に吐き捨てた。
「――――おまえ、六月ちゃんに手を出したこと、絶対に後悔させてやる」
「京子……ちゃん……?」
京子ちゃんは振り返って笑顔を見せると、ナイフをポケットにしまった。
「向こうの奴に、宣言しておいたの。六月ちゃんに手を出したこと、私は絶対に許さないって」
「向こ……う……?」
私は何が何だかわからない状況にあった。
だって京子ちゃんは、可憐で可愛くて優しくて、まるでお姫様みたいな子だ。お姫様を守るのは、脇役の仕事。
本来なら、脇役の私が彼女を守らなければいけないのに。私のせいで京子ちゃんが危険にさらされるなんて、絶対にあってはならないことだ。
こんなに完璧で、物語のヒロインにふさわしい京子ちゃんが、何故私なんかのために体を張るのだろう。
私にはそれが、不思議でたまらなかった。
「あの、……京子ちゃん」
「なぁに?」
本来なら、職員室に連絡するとか警察を呼ぶとか、やるべきことは山ほどある。しかしこの時の私は、血塗れで笑う京子ちゃんと犬の死骸、割られた窓ガラスの破片に、判断能力が麻痺していた。
何かに操られたかのように、口が動く。
気付けば私は、訊いていた。
「どうして京子ちゃんは、私にそこまでしてくれるの?」
と、京子ちゃんはびっくりしたように目を丸くしてから、ゆっくり微笑んだ。
「それは、六月ちゃんが大好きだからだよ」
「大好きって……私、を……?」
京子ちゃんは笑みを浮かべたまま、血濡れた手を私にさしのべる。
「ここはガラスが飛び散ってて危ないよ。早くここから出よう? 六月ちゃん」
私は促されるままにその手をとり、ふらつきながらも立ち上がった。
「大丈夫? 肩貸すから、ゆっくり歩こう」
京子ちゃんはいつもと同じ笑顔で、私に言った。
「もう、六月ちゃんがツナくんと仲良くしてるからだよ?」
「…………え……?」
教室を出て廊下を進む。
また野犬に襲われないとも限らない。私たちは一刻も早く、安全な場所に移動する必要があった。
しかし京子ちゃんは、別段急ぐ気配もない。まるで、もうこれ以上の危険はないと知っているかのようだった。
「え、どうして沢田くんが…………?」
「この事件、ツナくんが原因で起きてるんだよ」
私には何のことだかわからない。
沢田くんと野犬と、いったい何の関連性があるというのだろう。
「どういうこと? 京子ちゃん、何か知ってるなら教えて! 沢田くんも危ないの? 花ちゃんの事件にも関係してるの……!?」
……京子ちゃんは、静かに微笑むだけだった。
「それ以上は知らない方がいいよ。六月ちゃんのために。……大丈夫、六月ちゃんは私が守ってあげるから!」
「で、も、花ちゃんが……!」
そして、沢田くんが。
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