勿忘草の心2

□10.寂莫
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亮斗くんのいない世界は、暗い穴がぽっかりあいていた。そこを埋められるものなんて、この世には存在しない。

*****

ディーノさんに抱きしめられたまま、私は床に座りこんでいた。
あれからどれくらいの時間がたったのだろう。ディーノさんは時々携帯電話で誰かと話をしていたが、その間もずっと、私を抱きしめていてくれた。
……亮斗くんとの記憶が、さざ波のように巡っては霞んでいく。
私にはどうすることもできない時間の流れが、また私と亮斗くんを隔てていく。
幼いままの亮斗くんの面影だけが、瞼の裏で笑っていた。もう、このまま永遠に目を閉じていればいいのかな。
おぼろげな亮斗くんの笑い声だけが、耳の奥で鳴り響く。もう、このまま永遠に耳を塞いでいればいいのかな。
苦しい。……苦しい。
息もできないくらい、苦しくてたまらない。
亮斗くんの処に会いに行きたい。でもそれは許されない。
亮斗くんだけを愛してる。でもいつの間にか、周りの皆は私を『恋』という場所に閉じ込めたがるようになった。
このまま生きていくのが、辛い。
けれど私は約束したのだ。ツナくんと、恭弥くんと、武くんと。
……死ねない。死んじゃ、いけない。
この辛さを乗り越えたら、きっとまた一歩強さに近付けるから。
迷ってはいけない。死神の甘言に耳を貸してはならない。
守りたいものならわかっている。この命がけの愛ひとつ、我が身を盾に守り抜くと決めた。
引き返せない道の上、私は体をきゅっと縮める。
同時に上から、優しい声が降ってきた。
「……誰に、会いたい?」
ディーノさんは本当に優しい。私をあたたかく包んでくれる。私の気持ちを察してくれる。
ディーノさんにはわかっていたのだ。今の私に必要な人は、ディーノさんではないと。
私の脳裏をよぎる数人が、今この屋敷にいる年上の人たちではないと。
「ごめ……なさ……っ! ディーノさんがっ、いてくれるのに、こんな、……っ」
「いいんだ。素直に言っていいんだよ、七花。誰に会いたい?」
「私……っ」
それは懐かしいひとたち。私の消せない罪を受け止め、それでもなお温かい想いを注いでくれるひとたち。
私はディーノさんの腕の中で、しゃくりあげながらその名前を口にした。
「ツナくん……武くん……恭弥くん……っ!」
私の言葉に、ディーノさんは何故か苦笑した。
「……惜しいな。一人足りない」
「……? あの、何のことですか……?」
ディーノさんの台詞の意味がわからず、瞬きを繰り返す私。そんな私の目をのぞきこんで、彼は笑った。
「来るぜ、こっちに。七花の助っ人たちが」

――――――来る?

「え……どういう……」
ディーノさんは、私の眦に残る涙を指でそっと拭いながら、教えてくれた。
「ツナと山本と獄寺が、今日ここに来る」
「………………え!?」
私は泣いていたことも忘れ、驚きのあまり思考が停止してしまった。
ツナくんが、武くんが、隼人くんまでが、ここに来る?
硬直した私の髪をなでながら、ディーノさんは柔らかいトーンで説明してくれる。
「今日の夜になるとは思うが、三人共ここに来るんだ。七花が一週間滞在を延ばしただろ? これ以上七花と離れていたくねーってことで、あいつらも一週間イタリアに来ることにしたらしい」
「……え、じゃあツナくんたちにも、ディーノさんのお屋敷を無償で提供するんですか?」
するとディーノさんは、困ったように頭をかいた。
「いやぁー、オレもジャッポーネに行く時はツナん家に世話になってるからな。その恩返し、ってヤツだよ」
不覚にも、私の心は高鳴った。ツナくんに会える。武くんに会える。恭弥くんには会えないけれど、隼人くんに会える。
ツナくんなら、わかってくれるだろうか。武くんなら、一緒に考えてくれるだろうか。隼人くんは……いきなりスっくんに攻撃しないことを祈るけれど。
私はスっくんにあんなことを言ってしまった以上、どんな顔をして話しかけたらいいかわからないのだ。私はスっくんが望むことをしてあげられない。それがもどかしくて、申し訳ない。それでも、別れの挨拶くらいはきちんとしたかった。
こんな気持ちをわかってくれるのは、きっと彼らだけ。
大丈夫。皆が来てくれるなら、きっと大丈夫。
私の心が、少しずつ落ち着きを取り戻し始める。
今さらだが、ディーノさんのたくましい胸に抱きしめられていることが、少し恥ずかしい。思わず頬を染めると、ディーノさんにからかわれた。
「なんならオレにしとくか? 七花」
「……っもう! からかわないで下さいっ」
やっぱりディーノさんはすごい。
いつの間にか、私の涙は止まっていた。
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